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シベリアの神話伝説
目次
- 若い巫女と花嫁
- 死んだ人の首
- 人類の創造
- 射撃の争い
- 太陽の妻
- 月の話
- 虚偽の老人
- 石女
- 牝虎と結婚したギリアーク人
- 火の神を怒らしたギリアーク人
- 勇ましいギリアーク人と牝虎
- 熊
- 虎に化けた山の魔
- 月に攫われた娘
- ラムート人
- ラムート人の話
- ウーカニイ老人
- 巫女の伝説
- 不死の薬
- 狐児ボッシ
- シディクルの体
- 金持の息子
- 豚頭の魔法使い
- 「日の光」とその弟
- 画家と大工
- 心臓を盗んだ妃の物語
- 五頭の牝牛を持った小さい婆さん
- 月に斑のある理由
- 黒鷹
- 地の起源
- 汗ペジティと彼の百人の妃
- 駱駝と驢馬の起源
- 馬鹿
- 婆さんの計略
- 若者と鬼婆との結婚
- 二十日鼠を馬と美しい妻に取り換えた若者
- 教師の教えを受けた子供たち
- 善人と悪人
- 父と子の戦い
- 四十の話
- 農業の起源
- 幽霊の話
- 石に変わった二人
- 魔法の鏡
- 悪魔オー
- 太陽の求婚
- 太陽の話
- 人柱の話
- 老人と樹の精
- 世界と人間の始め
- 金の山
- 虚偽者
- 靴屋
- 王様と銀細工屋
- 石の車
- 猟師と七つ頭の森の神
- ケレメットの起源
- シールトの起源
- ババ・ガヤ
- 山羊と山羊の子
- 悪い女の子
- 詐欺師アルダー
- あるボトゥヤーク人の儀式
- 北極光
- 海の乙女
- 力を石に隠した男
- 百姓と悪魔
- 馬鹿のアントシャ
- 馬鹿の弟の溺死
- 太陽と月と雷の話
- 幽霊の話
- 悪賢い婆さん
- 太陽と月が出来た話
- 幽霊の話
- 貧乏神
- 不思議な笛
- 太陽と月の話
- 不貞な母親
- 魔法の道具
名称リスト
神名・人名リスト
| 名前 | 出現箇所 | 説明 |
| タンゲン | 3 | 造り主と共にいたもう一つの人類創造者 |
| カルジット・ベルゲン | 27 | |
| カラ汗 | 27 | |
| 黒鷹 | 29 | |
| 美しさ | 29 | 黒鷹の妹 |
| 声の主 | 29 | 悪魔の娘で、黒鷹と結婚するが、カチラン・コに傷を負わせる。 |
| 乳のやさしさ | 29 | エイ・トイエンから頼まれて、黒鷹の末子と結婚する。 |
| カチラン・コ | 29 | 黒鷹の本当の妻 |
| ビエオラ・バルカン | 29 | カチラン・コの一番上の兄、美しさを娶る |
| ソト・トイエン | 29 | カチラン・コとビエオラ・バルカンの父 |
| エイ・トイエン | 29 | 黒鷹の父 |
| ビオカスティ | 29 | 乳のやさしさと結婚するために戦いに来る。黒鷹に倒される |
| エリック(Erlik) | 30 | 神様があちこちへとびまわっていた頃からいる男。一番の黒い鷲鳥といた。悪さを働き、蛇をだましてテレンゴイとエジをだまして四つの枝の果実を食べさせる。
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| クルビスタン(Kurbystan) | 30 | エリックの別名 |
| テレンゴイ(Torongoi) | 30 | 神の人民の一人。食べてはいけないと神様に言われた四つの枝の果実を蛇に言われて食べ、エリック達と一緒に太陽も月もない暗闇の国へ投げおろされる。九人の男と九人の女の父となりその子たちによって人間を作るように言われた。 |
| エジ | 30 | 神の人民の一人。食べてはいけないと神様に言われた四つの枝の果実を蛇に言われて食べ、エリック達と一緒に太陽も月もない暗闇の国へ投げおろされる。九人の男と九人の女を生み苦しんで死ぬと言われた。
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| メー・テーレ(Mai-tere) | 30 | エリック達に物を製造することを教えるために神様が遣わした。エリックに言われて62年間頭を下げて神様へエリックを天国へ入れるように頼んだ。
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| マンディ・シャイア(Mandy-Shire) | 30 | エリックに一度負け、二度目に神様に言われた通りに行けと言われてエリックと戦い勝利した。その際に神様から槍を授かった。その後、天国と地上を守る役目を担う。
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| シャル・ジム(Shal-Jime) | 30 | 良い行いをして死んだ人を受け入れるように神様に言われた。 |
| ジャプカラ(Japkara) | 30 | エリックが死人を取りに来たらマンディ・シャイアに告げるように神様から言われた。
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| ポド・スンク(Podo-Sunku) | 30 | 太陽と月を統御するもの |
| ガリ(Galy) | 39 | |
| ダリガ(Daryga) | 39 | |
| カデルダ(Cadelda) | 39 | ガリとダリガの子 |
| ジベーン | 44 | |
| マリヤ | 48 | |
| パウル | 48 | |
| ジュバン | 48 | |
| ヤディウム(Yadym) | 50 | |
| アバ(Ava) | 50 | |
| イリア | 53 | |
| ケレメット | 57 | |
| シールト | 58 | |
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民族
| 名称 | 出現箇所 | 説明 |
| チュクチ族 | | |
| コリアーク人 | | |
| ギリアーク人 | | |
| ラムート人 | | |
| ヤクート人 | | |
| ボトゥヤーク人 | | |
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国名
| 名称 | 出現箇所 | 説明 |
| イスバクバルダナ | | |
| テーベットタナット | 32 | |
| ザクレイスキー | | |
| サガレンの海岸 | 9 | |
| バルジア | | |
| チェレミス | | 小屋 |
| パウル橋 | | |
| マリヤ川 | | |
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若い巫女と花嫁
五人の兄弟の末っ子は巫女で、女をひどく嫌っていた。兄弟たちは結婚すると、巫女は兄たちを見捨てて逃げた。彼だけが独身のままだった。ある日巫女は、結婚をするといった。相手は「あるところにお金持ちの老人がいて、たくさんの家畜がいて、美しい一人娘を持っている」ということだった。
その一人娘は病気になって死に、父親は力を落として何も手つかずになった。この家の隣に結婚して子供のない老人夫婦がいた。二人は娘の死んだ翌日にその父親のところに行き、娘を夢で見たとおりにしなければならないから貸してくれ、と申し出た。
それから、弱った牡牛に鈴をつけて、娘の死体を飾り橇にも鈴をつけてそれに乗せて出発させた。巫女は義姉の助けを得て神のお告げを聞いていた。それは花嫁が来るということだった。橇と牡牛は巫女の元に着いた。義姉は娘の屍を運んで巫女のところに運んだ。巫女は神の言葉を聞きながら、「魂」を探した。娘は手を動かした。義姉が巫女に精をつけると、娘を見たがまだ眠っていたため再び神の言葉を聞きだした。死んだ娘は起き上がり「私は随分罪を犯したわ」といった。
近所の人は嫁を見ようと集まった。翌日、妻となった娘は、家の家畜が荒らされているから一緒に行くように夫となった巫女に言った。二人は「一匹の牡鹿、四匹のトナカイを連れて妻の実家へ出かけた。義姉夫婦も「馬」に乗って加わった。隣の老人は彼らが来たことを娘の両親に告げたが死んだ者がどこから来るのかと曇らせていた。しかし、娘の姿を見ると喜びだした。
若い妻は夫に「家畜を見に行こう。(子を産まない牝鹿と子牛のない牡牛がついてきます。)するとまた、(白い牡牛)もついてきますから、その時注意して(一番大きな子牛と大きなトナカイ)を見失わないようにしてくださいよ。」と言った。
夫は「集まった家畜の中で特別なのを選ぶのだと思い家畜を皆集めるように命じた。するとたくさんの家畜が集められ(一番大きな牡牛)が偉そうだった
。また、(子のない牝鹿と白い牡牛)を探すとたくさんいた。
家の近所の樹木は大きくなっていて、人間のように家畜を蹴りだした。樹木の大部分は「足が一つ、手が一つ、目が一つある人間」のように見えた。家畜はみなトナカイの群れの中に逃げトナカイは地の中に消えた。若い夫婦は残りの家畜を家へ連れ帰り無事暮らした。
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死んだ人の首
一人娘の夫が死に、その首を家に持って帰ると首はいつも笑っていた。両親は他のテントに住んでいたが、母は父に「娘は一人なのに笑っている」といった。翌日様子を見ると首を袋の中に入れていた。その時首は急に笑い出した。両親はびっくりし逃げ帰った。母は父に首を片付けるため、娘に薪を拾うように言いつけてくれと言った。父は「薪を拾いに行っておいで、しかし後を振り返るな」と娘に言った。娘は仕方なく薪を拾いに行き、両親はその間に首をテントに投げ込んでおいた。娘が帰ると首はテントに投げ捨ててあったため悲しくなり泣いていると首は娘に向かって「泣くには及ばない。(欠けた火打石とぼろのナイフ)を探していらっしゃい」と言った。娘は二つとも見つけてくると、今度は「柳の小枝で(燃木付[たきつけ])を五六本作りなさい」と命じた。
娘は言われた通り火をおこすと首は「薪をどっさり集めて高く盛り、火の束を持って来て私と一緒に火をつけてみなさい」と言った。
娘がその通りにすると首は燃え始め火の中から鈴の音が聞こえ、夫の姿が現れた。夫は彼女の前に来て座って眠るように言った。
しばらくすると、橇とトナカイの群れがテントに到着し、夫は妻に目を覚ましてテントを張るように言った。妻は天とを張り「トナカイを一匹」殺して再び眠った。すると、一人の子供を産んだ。朝になると夫は子供を肩に乗せて父親が来たことを妻に言った。夫は父親に「あなたは私たちを見限りになりましたね。もしあなたが私の妻をお望みになるならば私たちは逃げてしまいますよ」と言うと、素早くテントを畳家畜を連れて夫婦は出発した。夫は一同に「橇の一体とすぐ出立しろ、わき見をするな。お前らの後から、テント生活の一隊の騒ぎが聞こえてくるがわき見をせず、まっすぐ進め。」小さい一隊は進んで人群れに着いた。妻があたりを見回すと少し右手にあたって魚を捕る網とテントの棒を持った放浪者の群れをみた。
橇の一行の騒ぎはなお聞こえた。三人はテントで一夜明かした。朝そこに住んでいる一人の女が妻に「湖に行こう」と誘った。二人は湖に行ってみると、土地の人々は集まってきて、妻をじろじろ見回したため、妻は涙を流した。それはたちまち雨となった。人々は「これは空のせいだろう」、ある人は「あなたが涙を流したから雨になったのだろう」と口々に話した。
妻は、「私の涙のせいで雨が降るなんて、少しも気が付かなかったわ」と答えた。
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人類の創造
地球上には、最初人間は一人も住んでいなかった。ここに「造り主」と「タンゲン」という二人の者が現れて、互いに争いを始めた。二人は互いに争って最後は疲れ果ててしまった。(作り主は白髪の年寄)
タンゲン「人間を作ろう」
造り主「よかろう」
二人は土を手にいっぱい掴み息をそれに吹きかけると、たくさんの裸の人ができた。
タンゲン「毛皮を着ていない。この人間はよくない」
造り主「毛皮のようなものを作ろう」(草を摘んでそれを撚って人々に着せた)
タンゲン「同じようにしよう」(木の葉と赤土を手でこね人々に着せた)
造り主はこれを見て笑った。
タンゲン「どうして人間は何も言わないのであろう。言葉を造ろう」(紙を取り出して二年掛かりで何か書き上げてその紙を人間に見せた。)
人間はそれを見て声を立てた。造り主はまた笑った。タンゲンは怒って造り主にも言葉を造ると言った。造り主はただ黙っていた。タンゲンは三年間書き続けて紙を人々に与えたが人々は嫌がって、相変わらず物を言わなかった。
タンゲン、造り主に「貴公はろくでもない奴らを造った。」
造り主「私はいい人間を造った。」
タンゲンはまた何か紙に書き人々に見せた。人々は嫌がってそれを受け付けなかった。
タンゲン「人間は悪いものばかりだ。」
造り主「彼らは全く良いものばかりだ。」と言うと鴉に代わって人間の中に飛び込んで鳴いて見せると人間も真似して鳴いた。
造り主、人間に「その文字をよく読め」(人間は文字を読むとそれは、トナカイをいつも飼っておけということだった。
当時人々は一匹もトナカイを飼っていなかった。
人間、造り主に「どうして、トナカイを捕らえるのですか。」
造り主「私が教えよう」(しかし、人々は彼の言葉を信じなかった。)
造り主は指を足の上に載せ、錐をもみ、火を出した。
造り主「足から火を造った。しかしお前たちは嘘だと思うだろう。」
人間「火はいったいどこにありますか。」(すると、火は急に消え、造り主はまた火を造った。)
造り主「見よ、また火が出来た。」(造り主は再び鴉となって点に舞い上がり天帝の元へ)
天帝「よく来た」
造り主「人間がトナカイを持っていないのはどういう訳でしょう」
天帝「それでは二三匹遣わそう」(造り主に野生の鹿を下した。)
その時地球は暗くてまだ太陽がありませんでした。人間は鹿を見た
人間、造り主に「何を連れてきたのですか。」
造り主「野生の鹿を連れてきた。」
人間「鹿が来た」(喚き立てた。)
その声にびっくりしてトナカイは暗闇の中に一目散に逃げ込んで消え失せた。造り主は手を打ってまた鴉になり天に昇って行った。
天帝「なんの用できた。」(少し怒っている)
造り主「実は鹿がないので人間は生活ができない」
天帝「最前の鹿はどうしたのか。」
造り主「まことに申し訳ありませんが、人間が騒ぎ立てて、驚いて逃げてしまいました。」
天帝「不届きだ。もうやることまかり通らぬ。」
造り主「お慈悲に、どうかお恵みください。人間は食物がなく困っています。どうかもう一度鹿をお恵みください。」
天帝「断じてやらぬ」
造り主は仕方なく「一頭の牡鹿と牝鹿」を拾って地に下った。これが後にチャクチ族のトナカイとなる先祖。(チュクチ族)
人々は大きな火を焚いて大喜びで鹿を迎えた。これ以来、角祭りの時造り主に犠牲(生贄)としてトナカイの角と骨とを捧げることになった。
それから造り主はテント生活をするコリアーク人を造った。しかし、海岸に住むコリアーク人はまだ造らなかった。(後にタンゲンがいつも橇を犬に引かせていたところ、ある夜、犬の糞から造ったと言われている。
地球上にはまだ太陽がありませんでしたので造り主は月の光に頼って空に昇り太陽を盗んで、それを自分の口の中に隠しました。
天帝「なぜ空の中をこそこそと歩くのだ」
造り主「私は何も盗みは致しません。嘘だと思うなら私の身体をお調べ願います。」(口をもぐもぐさせていった)
造り主は天から逃れて、地球の一方の側に降り、海辺を歩いていると、彼の子供はその時地球の他の側を歩いていた。太陽主の住んでいたところは太陽がなくなり暗くなったのでタンゲンは二人の使者を送って太陽を盗んだ者を探させた。使者は造り主のところへ行って
使者、造り主に「なぜあなたは太陽を隠しているのです。人間は暗くて困っている。
造り主「太陽なんか隠していない」(口ごもって答えた)
天帝「奴の身体をとくkと吟味いたせ」
使者は造り主の身体を調べ、最後に口元を探すと造り主は3度笑って太陽を吐き出したので空は急に明るくなった。こうして地球に光が出てきた。
造り主と使者は聳えている山の傍を歩いていた。彼の子供は山の頂上を歩いていたが長い旅で食べ物を食べつくして飢えのあまり彼の髪や着物をかきむしっていた。これを使者は見て
使者「奴は悪魔だ!」と叫んだ。
造り主「子供よ!悪魔になるな。立派なものになれ」と言った。
それから使者は紙を取り上げ、「地球の図」と「人間の目録」を書いて造り主に見せた。造り主はつまらないと言って破ってしまい、使者は怒って造り主を粉微塵に引き裂いた。その途端、野原の向こうから太鼓や斧の音が響いてきた。すると、造り主の切れ切れになった肉片はたちまちつなぎ合わさった。今度は使者は、彼を粉々に刻んで大きな火中に投げ込んだ。
その時天上から鴉の鳴き声が聞こえてきた。こうして造り主の白髪の年寄は鴉となって天に舞い上がってしまった。
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射撃の争い(口は災いの元)
昔、ある所に三人の男がいた。一人は川口に、一人は海岸に、一人は鹿の住む野原に住んでいた。あるとき、三人はひょっこり出会って、互いに腕前を競って、果てる時がなかった。まず川口の男が口を開いて、「とにかく、いつまで争っていても、きりがないから、射撃の競争をして、解決をしようではないか」というと、他の二人は、「それがいい。もし撃ち損なったら、罰として命はないぞ」というので、三人相談一決して、まず、遠くの木を選んで、木の葉を掲げ的として、「さあ、やりそこなったら、お陀仏だ、いいか」と互いに念を押し合った。最初、野原の男は、見事一発で的を撃ち抜いた。そして安心して、「命拾いをした」と申した。次に、海岸の男は、暫く狙いを定めていたが、この男もまた運よく、当ててしまった。最後に川口の男は、どうしたものか的が狂って、しくじってしまったため、二人の男はそれ見たことかと言わんばかりに、「さあ、気の毒だが、生命はもらった。火の用意だ。さあ、着物を脱げ、火の中にぶち込んでやろう。口は災いの元ということを知らないか。もしお前がなくなら冷やかしてやるぞ」と言って、彼を火の中に投げ込んだ。彼は堪りかねて、泣き出したので、二人は、「泣いたって駄目だ。この意気地なしめ」と言って、詰った。
解釈
これは言い出した者が負けるという話の典型で、もしかしたら、大元となった話かもしれない。しかし、考えるべきは、言い出した者が最後に行っているということである。言い出した者がすなわち、それを行えるはずであるのに、自分がやらないうちに二人がやってしまったことが原因と考えられる。自分が言い出したことで、正しいのであれば、まず自分が行って、そして、それを信じる者が次に成功させる。そして、最後まで残った者がその事柄と無関係であるということである。ここには、愛の理由が存在すると思う。なぜなら、男が言い出して、それを行い、女はそれを信じて次に行い、それを成功させる。そして、そのほかの者は必ずしくじるのである。つまり、愛において、男がやるということを信じれない時、女は男が成したことに乗り遅れる可能性がある。これは男が宣言することによって、客体に例証されるが、しかし契機はその後を追う者、つまり本来であれば愛する異性がその後を追い、その契機を得るのである。しかし、信じない場合にはそれを信じる者の所へ契機は逃げてしまう。ここに明確な愛の法が存在する。すなわち、宣言は愛において実行され、愛ゆえにその信仰者以外を排斥するという原理がある。このために、愛の範疇は堅く守られるのである。
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太陽の妻
男という男を嫌った一人の娘、太陽はそれを聞いて彼女の眠っているすきに「白い鹿」に乗せて天上に舞い上がり軌道を通って空に連れて行った。天の川に来た時、浅瀬を見つけるので待つように言った。妻のところに一匹の甲虫(カブトムシ)が来て「悪魔が狙うかもしれないから着物を取り換えよう」と言った。太陽の妻は着物を交換し、甲虫は彼女を遠くの「草の根」のところに隠した。太陽は妻に化けた甲虫を彼の故郷に連れて帰った。そして毎日空をあちこち渡り「鹿」を養って放浪生活をしていた。本物の妻は「草の根」から救いを求めた。声が低く太陽には聞こえない。太陽の子はお腹の中で騒ぎ立て大きくなり「甲虫の黒い上衣」も古くなった。子は生まれてテントを張り髪で紐を造り先端に輪をつけ毎日鹿を捕えていた。子供は鹿の脂肪(あぶら)で育った。鹿の皮で着物を造り子供に普通のを、自分に美しいのを夫に「やわらかい白い毛皮」から「艶のある黒い」のを作っておいた。
冬が来て天の川が凍った。子供のために「鹿の角」で小さい弓、「骨」で矢を作った。そして「河の向こうへ射てテントの傍の木を超えて落ちるからそのあとを追いかけて森(テントの傍)へ行くように」と言った。
子供は言われた通り進みテントに入ろうとすると、持ち主は「誰だ」と言い、子供は父を探して旅していると言った。そして、テントの持ち主を連れて川の向こうへ行った。太陽の妻は夫を見て泣き、太陽は妻を抱き、「今までなぜ隠れていたのか」と尋ねた。妻は甲虫に騙されたことを話した。太陽は偽の妻の頭を膝の上に置き彼女は眠り、首を眺めるとそれは甲虫の黒い首だった。
太陽は怒り火を焚きその中に投げ込んだ。太陽は「お前の仲間は恐ろしい病気で苦しめ、悪魔はその魂を取り去るであろう」と申した。太陽は本物の妻を家に連れ戻し、女が用意した「鹿の着物」を夫に着せた。妻の父がせがんだので、光線に伝わって地に降り父の家へ行った。妻は「子牛の肉」を料理して出した。太陽は結婚の記念物を妻の父に贈った。妻の父は黒い鹿を返礼に返した。
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月の話
あるところのに一人の娘を持ったトナカイ飼いがいた。この娘は、いつも大きな輓牛(ひきうし)を連れていた。彼女はまた、夏冬ともに家畜を世話したり、牡牛を世話したりして、食事の暇のない程であった。ある夜、この牡牛は、彼女に、「ご覧なさい。月があなた様を攫おうとしています。」というので、彼女は空を見上げると、月は二匹の鹿に乗って非常な勢いで降りて来た。彼女は、おどおどして、「どうしましょう、月は私を攫いに来たわ」と言ったので、牡牛は落ち着いて、「まあ、騒がずに、静かにしてください。あなたに、ちょっと相談があります。」と言って、足で雪を掘って、「ここにお座りください」と申した。そこで、彼女は言われるままに、そこに座ると、牡牛はなおも彼女の周りの雪を掻き分けて、ある呪文を唱えて、彼女を塚と変えてしまった。その時、月は天から降りて来て、あちこちと歩き回って彼女を探し始めたが、彼女の姿はどこにも見えなかった。ただ、彼女の頭だけが塚のように見えていた。牡牛は、月が連れて来た鹿を衝くと、鹿は互いに、「おやまあ、どこに娘は隠れたんだろう。さあこれから、暫く彼女を探しましょう。」と言っているのを聞いた。月が去ると、牡牛はたちまち雪を掻き分けて、娘を出して上げた。すると娘は、「さあ、お家へ帰りましょう。でないと、月はまたすぐ帰って来るわ」と言って、橇に乗ったので、牡牛はそれを、息せき切って牽いて、間もなく家に帰った。それから牡牛は、今度は何に変えましょうかと娘に聞くと、彼女は慌てて、「さあ早く、今に月がまた来るわ。大急ぎで大きな石に変えてちょうだいな」と言った。その時、牡牛は言った。「それはすぐにわかりますね」娘「では、斧にしたら、どう」牡牛「それもすぐにわかりますね」娘「では棒杭にしたら」牡牛「それも、わかりますね」娘「では、髪の毛に変えて、テントの中に入れてちょうだいな」牡牛「そんなことしたって、すぐわかります。では『ランプ』にしてお上げします」娘「ええ、それがいいわ」牡牛、「さあ、火の中にお座りなさい」彼女が火の中に座ると、間もなく、月がテントの中に入って来た。そして、あちらこちらと、娘を探し回ったが、どうしても見つけることができなかった。彼は、棒杭の間、毛皮の毛、板の隙間、隅の土くれなど、細かい所まで念入りに調べたが、どこにも彼女を見出すことができなかった。ただ、やけどをすると思って、ランプの傍へは、行かなかった。さすがの彼も閉口して、「これは不思議だ。あの娘はどこに隠れたのだろう。それとも、まだ家に帰らないのかしら」と独り言をつぶやいて、トナカイに乗ると、テントを出て行った。うまく言ったというので、娘は火の中から飛び出して、テントから体を半分だして、カラ下院柄、「鬼さんこちら」と言った。その声を聞いて月は鹿の上から降りて、再びテントの中に入って探したが、その時彼女は、もう、ランプに変わっていた。それから、彼はまた、森の中、木の葉の間、テントの隅を順々に探したが、どこにも彼女の姿は見えなかった。月は残念がって、「へんだな、いったいどこにいるんだろう。癪にさわる奴だ」と歯ぎしりちた。月が失望して、すごすごと帰ろうとすると、またも彼女は、テントから首だけを出して、「鬼さん、こちら」と揶揄った。月は、もう一度テントの中に入って探したが、今度も駄目であったので、すっかり疲れてしまった。その時、彼女はテントから飛び出して、彼を捕えて、その背中の上に乗って、足を縛ってテントの方へ連れて来た。月は覚悟を決めて、「おや、お前は私を殺すつもりか。私がお前を攫おうとするから、こんな真似をするんだな。よし、お前が本当に私を殺そうとするつもりなら、なんとでもするがよい。しかし、ここは寒くて行けないからテントの中に入れてもらいたい」と言った。娘は、「寒いんですって、嘘をおっしゃい。あなたは、いつも外に居つけているのではないの。
さあ、外においでになったらいいでしょう。あなたには、どんなテントがお気に召して。」と答えた。月は「私がいつも外にいると言うなら、外においてもよろしい。さて、私はお前に面白いことを教えて上げよう。まあ、私の戒めを解いて御覧なさい。そしたら、私は皆さまのよい見物になりますよ。私を許して下されば、昼間を夜に変えて上げます。そして、私はお前に歳を数える法を教えて上げます。私は、まず年取った牡鹿の月になり、次に寒い月、次に子牛の月、次に水の月、次に葉の月、次に気温の月、次に野生の鹿の月、次に冬の初めの月、最後にお日様を尻込みさせる月になってあげます。」娘「でも、もしあなたを許したら、あなたは元通り元気になって、また私を追っかけて来るんでしょう」月、「いや、どうしまして、追っかけるなんて、夢にも思いません。すっかり諦めてしまいました。ご心配には及びません。どうもお強くて、とてもかないません。もう二度と天から降りてきませんから、どうか許して下さい。その代わり、夜に光を与えて上げます。」そこで彼女は、月を許して解き放ってやったので、月は天から光を与えるようになった。
解釈
年取った牡鹿の月、寒い月、子牛の月、水の月、葉の月、気温の月、野生の鹿の月、冬の初めの月、お日様を尻込みさせる月の九つの月はどのような意味合いであろうか。360日として9で割るなら40日ごとに月が替わるということになるが、しかし、これでは月の運航が太陽と変わらないということになりそうである。この点で、この月は「照らされる月」と考えられ、また「分け与える太陽」によって与えられる数えなのではないだろうか?月が娘と結婚を求めて、降りて来たという所から、娘は太陽として見られているようにも思う。そして、太陽が分け与えることが照らされた月を尻込みさせるということではないだろうか。つまり、月は太陽に捕えられて、与えられるのであって、月は太陽を尻込みさせるということでその力が完了すると思われる。しかし、牛が娘を助けると言うのは、太陽が初め、牛の世話をしていたからかもしれない。むしろ娘が「分け与える太陽」であり、牛の従者ということもあり得る。娘が塚となったところを見ると、太陽が死んだふりをしている、つまり太陽が沈んだということで、ランプになるとは、牛の間において、光を与えている、と言うことではないだろうか。この話は、エノク書の月の運航と照らし合わせて考える必要がある。それからもう少し他の月の神話と比較し、太陽と月、それから星の運航について考究したい。
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虚偽の老人
ある人が男女二人の子供を持っていた。ある日、この人は川岸に魚網を忘れたので、それを探しに出掛けて行った。彼が氷の上の釣穴の近くに立っていると、老人が突然穴から現れて、彼の髪を捕えた。「親爺さん、私の子供をあげますから、どうか許してください」と頼むと、早速許されたので、家へ帰って子供に、「川岸においでよ」と命じた。二人の子供は、父親の命で仕方なく川岸に行って氷の穴から中を覗いていると、また老人が現れて、二人の首を捕まえた。その途端に子供が川の中に落ちると、老人は子供と一緒に水の中を泳ぎ回ってから、やがて浮かび上がり、股引(ももひき)を脱いで、それを子供に与え、「それを手入れして大切にしなさい」と言って、老人は眠ってしまった。すると、鷹が子供の所に飛んできて、「あなた方は、お父さんが恋しくはありませんか」と尋ねた。「ああ、恋しいよ」「では私の背中にお乗りなさい」そこで二人の子供は、鷹の背中の上に乗ると、鷹は川を越して飛んで行った。老人は目を覚まして子供らを探したが、どこにもいなかったので、彼の頬骨を取って、それをお呪い(おまじない)に空に投げると、それは川上の方に飛んで行って、向こう側に落ちた。すると、先の子供は鷹から筏の上に落ちた。筏は子供を乗せて、「さあもう逃がしはしないよ」と言った。子供は、そのまま川を下って行くと、老人はまた横になって、股引を子供に投げて、「これを手入れして、大切にしなさい」と言った。それから安心して、老人が眠ってしまうと、間もなく鷲が飛んできて、「子供さん、私の背中の上にお乗りなさい」と言うので、子供は鷲の背中に乗ると、鷲は空高く舞い上がって行った。老人は目を覚ますと、子供がまたいないので、またも頬骨を取って、今度は川下の方に投げると、それは、川の向こう側に落ちた。すると、子供は鷲の背中から、筏の上に落ちた。老人は、子供をうんと叩いて、「もう逃げてはならないよ」と言った。それから老人は、またも子供に股引を投げ与えて、眠ってしまった。今度は、鴉がやって来て、「子供さん、私の背中にお乗りなさい」と言ったので、二人は老人の戒めも忘れて、その上に乗ると、鴉は丘の頂に飛んで行った。老人は目を覚ますと、また子供の姿が見えないので、彼の頬骨を取って、今度は河の中に投げ込んだ。すると、骨は真っ逆さまに突っ立った。それから、川上に投げると、またも逆立ちになった。次に、真直ぐに空に投げると、またも逆立ちになった。最後に山の方に投げると、それは山の外側に落ちたが、まだ子供の姿は見えなかった。仕方なく老人は、岸辺を歩いていると、鴉と、子供の行った跡がわかったので、その後をつけて行って漸く追いついた。すると鴉は、背中の子供に「私の背中の首根っこに杖があるから、それを後ろに投げて、『白い山になれ』と言いなさい」と申した。それで子供は毛の中を探すと、杖があったので、言われた通りに投げると、杖は白い山に変わった。老人は驚いて、自分の筏の所へ跳んで帰り、錐(きり)を持って来て、白い山の真ん中に孔を開けた。そしてなおも鴉の後を追って来たので、鴉は子供に、「私の背中の毛の中に櫛(くし)があるから、捜して、それを後ろに投げて、『じめじめした森になれ』といいなさい」と教えた。子供は言われた通り、串を探して後ろに投げると、森となった。老人は、また筏に帰り、今度は斧を持って来て、森を切り開いた。それからなおも鴉の後を追おうとした。今度は、鴉は子供に、「私の首の根っこに太陽を探して、それを後ろに投げて『海になれ』といいなさい」と教えた。子供は、また言われた通りにすると、大きな海になって、老人は、そこに落ち込んで溺れ死んでしまった。子供は、永い旅でひもじくなった。すると鴉は、「子供さん、私を殺しなさい。そして、私が死んだら、私の骨を四つの場所に集めなさい」と言った。そこで子供らは、鴉を殺してその肉を食べ、骨を四つの場所に集めた。そして、骨の埋まっている場所に、狼と熊を縛り付けた。男の子供は、一方の狼と熊を取り、女の子は、他の狼と熊を取った。男の子は狼を犬の代わりに用いた。すなわち、狼は鹿を殺すと、熊はその鹿を家へ持って来た。女の子供は、狼と熊と一緒になって、家に留守して守っていた。兄の留守に彼女は退屈になると、髪の毛を斬って長くつなぎ合わせた。それから、髪の毛の端を握って、石を川に投げ込んだ。そして、髪の毛を手繰って見ると、老人の歯がその先端について来た。でそれを家に持って帰ると、一人の男になった。その若い男は彼女に、「あなたのお兄さんを殺しましょう」と言った。娘は、早速同意して、「ええ、殺しましょう。どういう風にして?」青年は、「私は長靴になるから、兄さんが帰ったら、それをやって下さい。そして『これは今日家にいて作ったのです』と言ってください」さて、兄が帰ってくると、彼女は、早速教えられた通り、「兄さん、今日、兄さんのために長靴を作ったのよ」と言って、長靴を側に持って行った。そのとき、兄の狼と熊が突然家の中に入って来て、その長靴を食べて、なお彼女をも二つに引き裂いてしまった。それから、彼女の狼と熊も食べてしまった。それで兄は川を渡って、彼の以前の両親の家に帰って行った。
解釈
父親が魚網を忘れて川に出かけて老人につかまったのがなぜなのか。子供は父に言われて川へ息老人につかまった。ここではなぜ股引を老人が渡したのかと言うことが不思議である。ここでは、父が子供を産むために費やした足、その濡れ衣という意味があるようではあるが、父は子供を簡単に売っている。なぜそれが可能であったのか、そして鳥はお父さんが恋しくないかと尋ねている。子供は恋しいと答えている。鷹、鷲、鴉と順番に助けに来ている。自分の頬骨を投げるというのはどういう意味だろうか。自分の喜びを使って子供を手なずけたということだろうか。鷹は川上へ向かったが、鷲は川下へ行ったのか、しかしまた筏の上に落ちたという。これは河の流れに逆らっていくか、流れに乗っていくかを象徴しているようである。そして最後に鴉が来て子供を助け、今度は丘の頂へ向かっている。ここで河から陸地へ向かったことになり、これは水の悪魔(ここでは父親の苦労の霊が、父親自身に子供を責めさせているという解釈が必要かもしれない。)からようやく逃れる術を見出したことになるが、老人は追って来た。鴉は杖、櫛、太陽を順番に子供へ渡して子供は投げて、白い山、じめじめした森、そして海をあらわして、老人を倒している。この事は河の水の悪しきというものが海によって滅びるということであろう。そして鴉によって、子供二人は罪の制裁を行っているようである。鴉の肉を食べ骨を四つの場所へ埋め熊と狼を縛り付けている。そしてそれを兄弟で分かち、女は退屈で髪の毛で老人の歯を釣っている。これがおそらく性的な誘惑を父に向けたことを示しているようである。すなわち、この誘惑ゆえに父は子供を自分の悪霊に引き渡しているのである。そして若い男となった老人の歯は兄を殺そうという。ここで娘は兄さんを殺すことに同意している。つまり、父を裸にして夫としたがり、家族を裏切ったのはこの娘だったのである。しかし、娘にもまだ言い分があった。それは妹が長靴になり、兄を試したことである。しかし、ここで鴉によって与えられた熊と狼が完全にこれを裁いている。つまり、これは兄が貰うはずであった物を娘が横取りしているゆえに、その足かせとなる長靴を、またその気分の悪い地面から守るための長靴を差し出させたのである。更にこの若い男と言うのが本来この兄がなるはずであった若者の姿である。そして若者は元の両親の家に戻るのである。しかし、この兄のアニマが妹の誕生に関与した可能性は否めない。すなわち、恋心を破壊するための象徴的な現象であったとも見て取れる。
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石女
あるところに、三人の娘を持った人がいた。ある時この人は、無我夢中になって、一番上の姉娘を川の中に投げ込んでしまった。そのうちに、両親は死んで、二人の娘の子が後に残った。ある日、姉娘は妹娘を家に残して、山に薪を拾いに出掛けた。やがて、姉娘が帰ってくると、妹がいないため、座って泣いていた。すると、間もなく妹はどこからともなく帰って来て、「姉さん、なぜ泣いているの」と尋ねた。姉さんは「お前は、どこかにいっていないのだもの、私淋しくなったの」と答えた。それから二人はぐっすり眠って、翌朝起きると、姉は妹を出られないように、細引で柱に縛り付けて、また薪を拾いに行った。それから山から帰って見ると、縄は残っていましたが、妹の姿は見えなかった。それで姉娘は、妹を探しながら岸辺の方に行くと、川氷が裂けていて、その裂け目は岸の方にまで拡がっていた。漸く、その岸辺に立っていると、かすかに妹のすすり泣く声が聞こえて来た。姉は堪りかねて「可愛い妹よ。早く帰ってちょうだい」と叫んだ。すると、どこからとなく、人間のような声で、「娘よ。この娘は返さないよ。私はお前のように女だけれど、私の傍へ近寄ってはいけない。私は人間ではないのだ。私を見たら、お前さんは震えつくだろう」と言った。声の主はどこからだろうと、姉はあたりを見回すと、すぐ前に大きな岩があった。それで、好奇心にかられて、岩の裂目から中を覗くと、その主は、石の鼻と耳を持った女であった。その女は岩の間から、目をぎょろぎょろさせて姉を見つめていたので、姉はすっかり恐ろしくなってしまった。すると石女は姉娘に、「私は、お前の妹を取ろうとは思わないが、お前の父親が、お前の姉を昔氷の中に投げ込んだのだ。それで彼女が水中を泳いでいるうちに魔法にかかって、魔法使いになったのだ。それで、その姉さんは魔法を使って、お前の妹を私にくれたのだ。妹はどうあっても返されないよ。早くお帰り」と申した。それで姉娘は、泣く泣く岸辺を下って行くと、程近くに人家が見えて、太鼓の音が聞こえて来た。何心なくその方に行くと、髪を振り乱した一人の女が家から出て来て、姉娘を迎えて、家の中に導いた。そしてその女は、姉娘を彼女の義弟の傍へ連れて行って尋ねた。女は「お前、私を知っているの」姉娘「いいえ、存じませんわ」女「私、お前の姉さんなのよ。ずっと前私のお父さんが神憑りになって、私を川の中に投げ込んだのよ。分かって?」と言った。姉娘はその義弟と結婚して、共に長く暮らした。
解釈
この話はこの姉妹の末路が、その次女の婿探しにあったことを示しているのだろうか。長女が使った魔法が岩の女を作ったということが、三女の次女に対する結婚の横取りを回避させようとしているようにも思う。これは長女が、次女に優って婚約者を取らないようにしているのだろうか。そのために乳は長女を倒している。また次女が無自覚でいた結婚するべき相手を先んじて義弟としているということが、この物語の信ぴょう性をあらわしているように思う。ロシアからシベリアにかけて、女は若干の愚かさと共に女の秩序的な継承を薄らいでいるようにも思う。しかして、長女が川に投げ込まれてさえも次女の結婚を守った、または守らざるを得なかったのは、この秩序体系を忘れてはならないという女の法規によるものと考えられる。
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牝虎と結婚したギリアーク人
あるところに、二人が男で一人が女の三人兄弟があった。ある時弟が、一頭の熊を殺して、家へ持ち帰ってその肉を食べて、外の兄妹にも、分けてやった。それから、ボートに乗って川を渡り、所々の岬に行って、そこに、熊の屍の残りを埋めて置いた。そして、手ぶらで独りきり帰って来た。すると、妹は悪魔に取り付かれた人のように、次のような歌を歌った。「兄さんは牝虎を愛しています。そして、彼女を妻にしようとしています。今度の夏、サガレン(Sagalien)の海岸に行って、いろいろな犬を集めて殺すでしょう。また、いろいろな魚の皮で、犠牲の皿を作るでしょう。それから、結婚式の用意ができると、花嫁の家に行くでしょう。私たちもまた、お祝いをしましょうねえ」と言って、妹は一度正気を失いましたが、再び生き返った。そのように、翌夏はサガレンの海岸に一同打ち連れて行き、いろいろの犬や魚の皮を集めて殺し、犠牲の皿を造って、式の準備をした。それから、弟は山に行って、牝虎と結婚して、長く睦まじく暮らしたということである。
解釈
なぜ、熊の肉を食べてその残りを埋めたことが、このようなことを起こしたのかは疑問である。ただ、熊が土の中で冬眠、もしくは死ぬことが、天へ伸びていく黒檀と関係があるのかが、鍵のようである。この儀式的な埋葬が、地を天、もしくは光のある所まで運ぶのであれば、それは、一つの魔術である。では、その際に何が妹をこのように変えてしまったのであろうか。ただ、この憑依はおそらく、死者に語らせる術と近いものがあると考えられる。エジプトで行われた死者に語らせる術はこれと類似の関係があるのかもしれない。またシベリア特有(ロシアでもしかりかもしれないが)で、この事が天に知られないということかもしれない。弟、すなわち二番目の男の兄弟はこの通りに牝虎と結婚したという。更に、アセナテとヨセフの関係がイシスとセトの関係(これはエジプトであるが)、すなわち、イブとセトの近親相姦を示しているのかもしれない。すなわち、アセナテは熊が地に眠ることゆえに高められ、また、セトはイシスを嫁にしようとしたが、これもイシスがもともと高められていた故で、セトは愛を知っており、またヨセフも知っており、このために、男が知ってはならないことを隠蔽しようとしたために、この男を婿としたと考えられるのである。しかしこの点については、もう少し吟味が必要である。
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火の神を怒らしたギリアーク人
五人の狩人が、黒貂(くろてん)を捕りに森に行った。彼らはテントを張り、食物を用意し、神に犠牲を捧げ、罠を仕掛けて待っていたが、黒貂はなかなかかからなかったので、狩人の頭はすっかり腹を立てて、罠を集めていた。夕方になって、食事の用意をしてから斧を側に置き、火を焚いて、「神よ!ましますならば、なにとぞわれらに獲物を与え給え」と祈ってから、斧を揮って竈(かまど)を壊して、一行は眠ってしまった。夜になって、狩人の頭はどこかで、「ここにいて、罠を掛けよ」という夢を見た。そこで、仲間の者が家に帰ってしまうと、彼はテントの中に留まっていた。すると、不思議な人が現れて、「私と一緒においで。お前によい物を進ぜよう」と言った。そこで、彼はその人の後ろについて、ある家に入ると、そこには沢山の黒貂がいた。その傍に、顔に包帯をした男が坐っていて、二十匹の黒貂を狩人の頭にくれて言った。「もしお前が、この間の黒貂狩りのときに、竈を壊したギリアーク人に行き会ったら、その人に、来年は弓と矢と槍を用意しておいでと。もし、私がその人より強ければ、その人を殺すし、もしその人が私より強ければ、私はその人に殺されるであろう。もし、お前がそういう人に行き会ったら、よく話しておいてくれ」と。果たして、夏になって、この狩人の頭は狩をしている時に、殺されてしまった。
解釈
竈は特に重要なものである。また石臼もよく現れる。パレスチナのノアの話では竈から水が出てくるという。竈が火の神と通じているということは理解される。火の神に関してはロシアでもオゴーニとして現れる。ゾロアスター教においてもそうである。しかし、シベリアでは竈に何をくべたというのであろうか。
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勇ましいギリアーク人と牝虎
ある父親と二人の息子が連れ立って、黒貂狩りに行った。彼らはテントを張り、薪を切り、海と山の神に犠牲を捧げ、テントの中に入って、火の神を祭った。食事が終ると、一頭の大きな虎が突然現れ、入口をふさいだので、彼らはすっかり恐ろしくなってしまった。父親は、それからぐっすり寝込んで、ある夢を見た。その夢の中でその虎に近づいて、「お前は、火縄が欲しくてやって来たのか。それとも、何か入用なものがあるのか、どうだ、私は、そんなものは今持っていないが、村へ帰ればいくらでも持って来てやるよ。それとも、種類の違った犬でもほしいのか」と尋ねると、虎は「いや、何も欲しくないが、あなたの息子さんは法螺吹きでいけない。もし、息子さんが強いというなら、私を殺して見て下さい。もし私の方が強ければ、息子さんを殺してしまうからね。まあ、息子さんに話して下さい」と言った。父親は目を覚まして、年上の息子に「おい、私がいっておくが、お前らは法螺を吹いてはいけないよ。そのことは、とっくに私が注意しているじゃあないか。いいかい。わかったかい」と言い終わると、弟の方に向かって、「さあ、一緒に村へ帰ろう。用意をしなさい」と言って、帰る支度をした。この様子を見て、さすがの兄も、「お父さん、私だけ置いて帰るんですが。まあ、ちょっと待ってください。もう法螺を吹きませんから、許してください。」と言ったが、父親は耳も貸さず、弟と一緒に寝床を畳んで、それから虎に向かって、「さあ、私らは先へ帰るんだ。そこをどいておくれ」と言った。すると、虎は道を開けたので、父親は弟と共に無事に村に帰った。虎は、相変わらずテントの入口に塞がっていたので、兄はシャツの袖をまくって、小さな斧を持って虎に近づいて行った。そして、一撃の下に追い払って、一生懸命になって、そばの落葉松の樹
によじ登った。すると、一度逃げた虎はまた飛んできて樹に飛び上がり、彼の長靴のかかとにかぶりついた。兄はまたも一蹴りで、見事虎を退けた。虎は不意を喰って、木の股の所に落ちて、虫の息になった。勇ましい兄は、樹の上から降りて来て、虎の首を捕えて真っ逆さまに地に投げた。虎は命からがら逃げて行った。そこで兄は安心して、樹から降りて来て、薪を切り水を運んで、食事の支度をした。それから、食事が終ると、またも虎がやって来て覗いてきた。それで今度は、弓を取って射ると、虎は一度逃げて、また襲って来た。そのとき彼は、素早く虎の背中の上に跳び乗ったので、虎はびっくりして駆け出して、ある明るい場所に来た。そこの小高い所には、大きな小屋が立っていて、その前にはいろいろな虎の皮がぶら下がっていた。虎はその小屋の近くまで来ると、うずくまったので、兄は直ちに飛び降りた。その時虎は、身を震わして毛を立たせたかと思うと、一人の男に変わってしまった。その男は虎の皮を脱いで棒に掛けてから、「君、小屋に入り給え」と言った。兄は言われるままに、小屋の中に入ると、室の真ん中に、爺さんとお婆さんがいて、その傍に若い娘がいた。その男は、「お父さん、お母さん、やっとのことで妹の娘を探して来ました。ここにいる人がその人です。」と言うと、老夫婦は大喜びであった。そして、みんなで魚や川獺(かわうそ)の肉や熊の肉を食べて、祝った。夜になると、一同は小屋の後ろに集まって、祝いの舞踏をした。その翌日、婿は沢山の荷物を持って故郷に帰ることになった。そして、二隻の船に虎の毛皮を積んで、満州の知事を訪問した。知事の妻は新婿に「ギリアーク人よ。あなたは牝虎と結婚したそうですね。」と尋ねた。彼は直ちに、「そうです」と答えた。「では、お祝いに、このパイプとハンケチをお贈りしましょう。」と知事の妻は言った。そこでギリアーク人は、沢山のお祝いものを貰って村に帰って来た。秋になって、兄が狩に出ようとすると、弟は一緒に行きたいと言ったが、兄に叱られて、仕方なく家に留まっていた。しかし弟は、兄を送り出しておいて、そっと後からつけて行った。しばらく行くと、一つのテントの所に来た。兄は森の中に入って薪を集め水を汲んで、それからテントの中に入り、火を起こした。丁度その時は日没で、どこかで虎の鳴く声がした。兄は、弟を見つけて、「これは、私の舅の人々だ。私はこの人々から妻を貰ったのだ」と言った。その時、例の虎男がテントの所に来たので、ギリアーク人は、つかつかと側へ行って、「君、タバコを吸いませんか」と言った。虎男は、弟の姿を見てびっくりした。すると、兄は、「何も怖がることはありませんよ」と言った。そうして、虎男はそこに泊って、次の朝兄と出発しました。間もなく虎の小屋に着いたので、中に入って見ると最愛の妻がいた。そこで兄は妻に、「明日になったら、家へ帰りましょう」と言って、翌朝早く妻を連れて兄の故郷に帰って行った。
解釈
ギリアーク人が牝虎と結婚したという話。真っ先に浮かび上がるのは、ヤコブとデナの関係であるが、ここでは、まず、ベトナムのサンや、メキシコとの関係である。ケツァルコアトルによって虎は生まれ、またそれゆえにアメリカとシベリアは陸が離れたのであろうか。ここでは、牝虎は誰かを探しているという雰囲気を見せる。例えば、ブラジルでも虎は出て来るが、ほとんどが、強欲で無知という印象を持っている。それはこの虎がザハル、ウネケバーのもととなる、愛に似た機能を備えた初めての動物であったのではないかと言う疑問を想起させる。そして、その中心には双頭の鳥、または鷲、鷹が居た。ということではないだろうか。そう考えると、マニトー、イラトーは虎から生まれたのではないかとも思うのである。しかし、ケツァルコアトルは自身のみでこの問題を解消したが、それはおそらく、力ゆえに、他の者を排斥するものだったと考えられるのである。この事は、ウトガルドロキが星であり、ケツァルコアトルを生んだという可能性と共に、人間が出来た理由に関係している。この点で神は我々を第六の日に想像されたのだと、考えられるのである。虎はこの双頭の鳥ゆえに愛を達せず、それゆえに、ケツァルコアトルが神の所へたどり着いたのである。星の初めはいまだ未解決ではあるが、第五の日、それは第三の日の草木によって動物となったであろうことは確かであるが、同時に、月や星も動物を生むことになったのであろう。そして、太陽は動物を生んだであろうか?ここにはおそらく牛を生んだと考えるのであるが、定かな神話が見当たらない。
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五頭の牝牛を持った小さい婆さん
五頭の牝牛を持った小さい婆さんがいた。彼女は、五つの芽をつけた一本の草を、根ぐるみに引いて来て、毛布に包んで枕元へ置いて、再び野原へ出かけた。彼女が牝牛の乳を搾っていると、、突然、手太鼓が鳴って、鋏でものを切る音がした。そこで乳を搾るのを止めて、慌てて帰ってみたが、前の草は、どうもなっていなかった。野へ戻ってくると、また手太鼓と鋏の音がした。再び家へ帰って来て、寝室を覗いて見ると、そこには玉髄の乙女が座っていた。その着物は透き通っていて、彼女の身体が見えている。その身体はた透き通っていて、骨が見えており、また骨も透き通っていて、その中を神経が水銀のように走っているのが見えていた。前の草がこの美しい乙女に変わっていたのであった。それからしばらくして、カラ汗の息子のカルジット・ベルゲンが森へ入って行って、五頭の牝牛を持った、小さい婆さんの家の近くで、栗鼠が木の小枝にとまっているのを見つけた。王子は栗鼠を射たが、もう日が落ちて、暗くなっていたせいか、なかなか栗鼠を射落とすことができなかった。この時、彼の矢の一本が、煙出しの中へ落ちた。「婆さん。矢を拾ってもってこい」と王子は叫んだが、中からは答えがなかった。彼は怒って、その家の中へ入って行った。王子は家の中で例の乙女を一目見て、気が遠くなってしまった。彼は間もなく正気に返ったが、とうとうその乙女を恋してしまった。彼は馬に跳び乗って、大急ぎで自分の家へ戻り、「お父様、お母様、五頭の牝牛を持った小さい婆さんの家に、こんな美しい乙女がいました。あの乙女を連れて来て、私のものにして下さい。」と言った。汗は九人の死者を馬に乗せて、五頭の牝牛の婆さんの家へ、大急ぎで走らせた。使者も、その乙女の美しさを一目見て、気を失ってしまったが、やがて気を取り直して、「カラ汗の王子にこの乙女を差し上げよ」と言うと、「では差し上げましょう」と婆さんは答えた。乙女もまた、「行きましょう」と言った。婆さんは、「結納の印として、この私の野原いっぱいに、家畜を下さい」と言った。すぐに沢山の牛や馬が集められた。結納として、この沢山の牛や馬を貰った婆さんは、「娘をお連れ下さい」と言った。乙女はすぐに装いをすませて、その前へ、ものをいう、立派な斑点のある一頭の馬が引き出された。彼らはその馬に銀の鞍を置いて、その上に花嫁を乗せて出発した。「この森の奥に、狐のわなが仕掛けてあるから、私たちはそこへ行かなければなりません。あなたはこの道を進んで行くのです。道は途中で二つに分かれます。東へ行く道には、黒貂の皮がかかっておりますが、西へ行く道には、月の輪の着いた熊の皮が掛かっています。その黒貂の皮が掛かっている道をずんずん進んで行けばよいのです。」と道を教えて置いて、彼らは行ってしまった。乙女は道を進めて行ったが、うっかりしていて、道を間違えて、熊の皮が掛かっている方の道を進んだ。途中一つの鉄の小屋のある所へ来ると、突然その中から、鉄の着物を着た悪魔の娘が飛び出した。彼女は一本足で、しかもその足は撚れ曲がっていた。また一本しかない手は、胸の下の所から、突き出ており、ただ一つの眼は、額の真ん中についていた。そして五十尺もある、鉄の舌を突き出して、彼女を馬の上から地上に突き落とし、彼女の顔の皮をもぎ取って、自分の顔に着けた。それから彼女の着物を奪って、これを身に纏い、馬に乗って出かけた。悪魔の娘は、こういう風にして、やがてカラ汗の家へ着き、夫の王子に迎えられた。人々は結婚の饗宴を催して、食べたり、飲んだり、踊ったり、愉快に騒いだ。結婚の饗宴が終わる頃、例の五頭の牝牛を持つ小さい婆さんが、彼女の牝牛を探しに野に出ると、そこにまた五つの芽を持った草が、のびのびと育っていた。彼女はその草を根ぐるみ引いて、家へ持ち帰り、毛布に包んで枕元に置いた。再び野へ戻って来て、牛の乳を搾っていると、突然、手太鼓と鋏の音が聞こえて来た。急いで家へ帰って見ると、床の上に前の美しい乙女が、前よりもずっと美しくなって、座っておりました。「お母様。私が連れていかれる途中で、あの人たちは、仕事があるからと言って、他へ行ってしまいました。別れるときに、熊の皮の懸っている道をとらないように、そして黒貂の皮の掛かっている道を行くようにと、教えられたが、私はそれをつい忘れてしまって、熊の皮の掛かっている方の道を進んで行って、一つの小さい鉄の小屋のあるところへ来ました。すると一人の悪魔の娘が出て来て、私の顔の皮を剥ぎ取って、自分の顔につけ、私の着物を奪って、それを着て私の馬に乗って出掛けました。私はそれから、一匹の大きな灰色の犬に銜えられて、またあの野原へ帰って来て、そこでもとの草になって生えました。しかし、いつまたあの方に会えるでしょう」と乙女は言った。間もなくカラ汗が、五頭の牝牛の婆さんの野原へ来た。例の人と話をすることのできる斑の白馬が汗を見て、悪魔の娘が乙女を殺して、自分が王子の妃に化け込んでいることを汗に話し、またその乙女が再び甦ったことを話した後で、「もしも王子が乙女を妃にしないでいられるならば、私はあの銀の波の立っている、金の氷の張っている湖の傍で、白い石の玉座に座っておられる神様に申し上げて、あなた方の家を壊してしまい、あなた方の用いておられる火をば、尽く消してしまいます。悪魔の娘らを近づけてはなりません。早く殺してしまいなさい。悪魔の妃は暴れ馬の脚へ縛り付けるのです。また王子は悪魔のために身を汚されていますから、ここ三十日の間、流れの水に浸して、洗い清め、毛虫を取って来て、濁った血をことごとく吸い取らせて、その後で水から引き出して、それからまた三十日の間、木の上に上げて、西から来る風、東から来る風に吹き曝すのです。王子の身体がすっかり清められてから、乙女を妃に取らせるのです。」と言った。汗は馬の言うことを聞いて、この出来事を悲しみ、両の眼からは涙を流した。そこで彼は大急ぎで家に帰り、王子を呼んで馬の話したことを話して聞かせた。王子は汗の話を聞いて、非常に驚いた。早速家来の一人が妃を引き出して、暴れ馬の脚に縛り付けると、馬はその悪魔の妃を蹴り殺されてしまった。それからまた王子は、流れの水の中に浸されたり、木の上に上げられて、風に吹き曝されたりして、すっかりその身体を清められたが、彼が家へ帰って来た時には、まるで骨と皮ばかりであった。王子は馬に乗って、五頭の牝牛の婆さんの家へ出掛けた。婆さんは王子を迎えて、ちょうど死んだ人が甦り、亡くなった者がまた出て来たかのように打ち喜び、早速牝牛や牡牛を殺して、結婚の饗宴の用意を整えた。しかし乙女の方は涙を流しながら夫に近づいて、「あなたはなぜ私を犬の餌食にしたのです。それにまた、いま何しに来たのですか。世の中には女はいくらでも降りますよ。私はあなたの所へは行きません」と言った。王子は「私は何も知らなかったのだ。再び私の妻になってくれ」と言った。これを見て、五頭の牝牛の婆さんは、両方の眼から涙を流して、「お前さん方はなぜ喜ばないのか。なぜそんなに私の意志に逆らうのか」と言って、王子と乙女との間へ入った。そこで乙女はとにかく、「では承知しました」というと、王子は非常に喜び、とび上がって乙女を抱きました。やがて二人は、例の人と話をすることのできる斑のある白い馬に乗って、汗の家へ帰った。
解釈
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月に斑のある理由
昔、両親を失った一人の乙女が、一つのテントの中に住んでいた。彼女の親戚の住んでいる遊牧民の村の領主がこれを見て、彼女を自分の家へ引き取った。同情からではなく、欲気からしたことであった。領主の家にはいろいろ沢山の仕事があるので、彼は彼女を連れて来て、無償で働かせるつもりであった。孤児の乙女は、優しい言葉一つかけられることもなく、夜昼ろくに休みもせずに、働き続けた。ある月夜の晩、寒くて人の息が凍えるような晩のこと、彼女は水を汲みに、近くの湖へ出かけた。そして鶴嘴(つるはし)で氷に穴を開けて、桶にいっぱい水を汲んで家へ戻って来た。しかし途中で一本の柳の木につまずいて倒れ、桶を落として、中の水を全部流してしまった。乙女は立ち上がって、どうしたらよいか当惑していた。寒さは全身にしみわたって来ていた。しかし湖へ引き返しても仕方がなく、前の氷の穴は、もう新しい氷ですっかり塞がれているし、再び水を汲むには、また別に新しい氷の穴を開けなければならなかった。これは彼女の力の及ばない仕事だった。それかと言って、水を持たずに帰れば、主人からひどく打たれるに決まっていた。彼女は立って泣いていた。その孤児の乙女は月を見上げて、「お月様。どうか私をお助け下さい。寒くて仕方がありません。そして私の主人は、私を毎日殴ってばかりいます。どの人もどの人も悪い人ばかりです。誰一人、優しい言葉をかけてくれる者もありません」と言った。月はこの言葉を聞いて、可哀想に思った。早速乙女の願いを聞き届け、彼女のいるところへ降りて来て、お泊めを傍に抱えて、自分の家へ戻って行こうとした。しかしこの時に、突然太陽がまた降りて来て、乙女をよこせと言った。二人は暫く争ったが、弟の月よりも兄の太陽の方が強くて、争いに勝った。しかし負けた月は「この乙女は私に願いをしたので、あなたにしたのではない。そして夜は私が世界を治めているのであって、あなたは昼の世界を治めているのだ。明日になれば、あなたはこの乙女を、熱で溶かすなりと、何なりとすることができるが、いまは夜だ。乙女は私のものだ」と言った。物わかりのよい太陽は、月の言うことが正しいと思った。そして孤児の乙女を月に渡した。月は彼女を連れて家へ帰った。その乙女は桶を提げていた。そして月の輝いている晩には、必ず桶を持ったその姿を現す。しかし乙女が地上を見下ろして、悪いことや、正しくないことを見ると、彼女は顔を曇らせる。これが月に黒い斑点ができた理由である。
解釈
この話はかぐや姫と近い気がする。かぐや姫は日本の竹取物語で出て来るのであるが、この乙女は両親が居ない。両親がいないということが、乙女を他人の家へ投げ出していると考えられる。そして、働かなければならないということが、乙女がその素質の悪いことを示しているが、逆に家族の意義を知る由となっていると考えられる。それはすなわち、アスピスということだと思う。例えば、シベリア7の話でも、老人は子供に何度も股引を与えているが、これは父母をないがしろにしているという警告である。この股引は父母の罪と、子を養う食べ物である。しかし、これが必ずしも良い物とは限らず、ましてや、他人に取っては取るに足らない粗末なものであることもある。ただし、それが何であれ、人間の性欲と天秤が揺れれば、高値が付く。と言うわけで、かぐや姫は自分のアスピスをはかりにかけ、無理難題を押し付けた。これはすなわち、嫁入りを拒絶している証である。無論この話では乙女はそのアスピスゆえに労働を課せられているが、ここで月が願いを叶えている。さらには太陽が割って入っているのは、なんとも不思議である。これも、イザヤ書やクルアーンで言われている、昼を夜に、夜を昼にという引き金となっているという証拠を示唆していると考えられる内容である。そして、月には桶を持っているこの乙女が居て、正しくないことが起こると顔を曇らせるというのであろう。しかし、昼間は太陽の所に居るのかが疑問である。
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黒鷹
昔、世界の真ん中に、「黒鷹」という名の神雄(しんゆう)が、「美しさ」という名の綺麗な妹と一緒に住んでいた。彼らの持っている家畜は、数限りなく沢山いた。あるときのこと、「黒鷹」が家畜に水をやりに行くと、西の方から一頭の種馬が見知らぬ灰色の牝馬を追いかけて来るのを見た。その牝馬は、ずっと前から一頭の小馬を孕んでいるようであった。彼は牝馬を引っ張って来て、囲いの中へ入れて置いた。しかし明くる日になって見ると、牝馬の姿が見当たらなかった。その代わり、その場所の真ん中に、一つの黒い物の塊があった。「黒鷹」がその塊を割って見ると、中から、上半身は人間の形をしており、下半身は小馬の形をしている、変なものが飛び出した。「黒鷹」はその怪物の名を尋ねたが、答えがなかった。彼は、その首の所へ大きな石を縛り付けて、川の中へ投げ込んだ。しかし明くる日になるとまた、前の場所に同じ怪物が居るので「黒鷹」は今度は、牧場の真ん中に火を焚いて、その中へ怪物を投げ込んで、目の前で焼き捨ててしまった。これで安心して、「黒鷹」は家へ帰って、その晩は眠りに着いたが、翌朝になって見ると、彼の妹の姿が見えなかった。あの怪物が妹を盗んで行ったに違いないと思って、彼は一頭の黒馬に乗って、西の方へと急いだ。大分行くと、一軒の黒い家があった。彼の声に応じて、人いrの一つ目の一本腕の、悪魔の娘が出て来た。彼女は「黒鷹」を見て、「私はずっと前から夫を探していましたが、一人もいい若者が見つかれいませんでした。しかし私の神様が、とうとう一人の若者を私の所へ送って下さった。あなたは神雄の「黒鷹」という方でしょう。そして私と結婚するために、ここへきたのでしょう。私の名は「声の主」と言います。そしてあなたは、結納として、私の兄へ十八頭の小馬をくれるでしょう」と言った。「黒鷹」は、もしもいまこの結婚を断れば、きっと彼女の兄というのが、自分を食べてしまうだろうと思ったので、早速十八頭の小馬を集めて、悪魔の家へ連れて来た。「黒鷹」は彼女と一緒に住んでいたが、ある日のこと、彼は家畜に水をやりに、湖の側へ行くと、水の中から、とても美しい一人の女が現れた。その女は、「私は西の方のソト・トイエン(Soto-Toyen)の娘のカチラン・コ(Khatchilan-Ko)という者です。私は三人の兄がありますが、その一番上の兄さんが、神雄のビエオラ・バルカン(Byeola-Balkhan)に言いつけて、あなたの妹を連れて来させ、彼女と結婚しました。その代わりに兄さんは、私を貴方の許へ送ったのですが、あなたはもう既に、悪魔の娘を妻としています。彼女を殺してしまって下されば、私はあなたの所へ行きます」「黒鷹」は彼女に、水から上って傍へ来るように言ったが、彼女は彼の妻が恐ろしいと言って、彼の求めに応じなかった。s「黒鷹」が家へ帰ったときは、もうだいぶ晩くなっていた。彼の妻は彼に向かって、こんなに晩くまでどこにいたのか、と尋ねた。彼は亡くなった小馬を探していた、と答えたが、彼女はもうすっかり湖での出来事を知っていた。
彼女は「黒鷹」が眠っている時に、彼の顔を強く打って彼に気を失わせた。そして彼が気を失っているうちに、この女の悪魔は彼の足を一本切り取って、自分の身体につけた。また彼の腕を取って自分につけ、彼の眼を一つ切り取って自分の顔につけ、顔の皮を剥ぎ取って自分の顔につけた。そして彼女は夫の着物を着て、河の湖の傍へと行った。彼女は湖の畔へ来て、夫の声色を使って、「出ておいで、私は妻の「声の主」を殺したから」と呼んだ。これを聞いて、カチラン・コが水の面へ出て来た時、悪魔の娘はすかさず彼女目掛けて槍を投げつけた。カチラン・コはひどく傷を受けたまま、再び西へと逃げ去った。そこで「声の主」は家へ帰って、自分の身に着けている夫の手足をまた元通り、夫の体へつけて置いた。明くる朝、「黒鷹」は常に似合わず早く起き出して、朝飯も取らずに湖の岬へ行ったが、辺り一面に血が流れているのを見て、その訳を悟り、急いで西の方へと出掛けた。途中で悪魔の神雄に会って、カチラン・コが悪魔の娘から受けた、重症のために死にかけているということを聞いた。この神雄はソト・トイエンから「黒鷹」の許へ遣わされた使者であった。「黒鷹」が花嫁のカチラン・コの所へ着いた時には、彼女は虫の息であった。「黒鷹」は天に向かって、「私の父、エイ・トイエン(Ay-Toyen)よ、私の言うことをなにとぞお聞きください。私の妻となるべきカチラン・コが死にかけています。彼女を治すため、あなたの巫者をお下し下さい」と祈った。この言葉が終るか終わらないうちに、西の方から暖かい風が吹いてきて、大雨が降り出し、雷が鳴り稲妻が光った。やがて空の一角から、白馬の膚(はだ)のような白い雲が垂れ下がり、その中から巫者の装いをした三人の巫者が下りて来て、病人の上を舞い回った。そして病人が治ってしまった頃、また再び天国へ舞い戻った。この頃丁度ソト・トイエンは、大きな戦いをするために、神雄たちや多数の人民どもを集めている時でしたが、「黒鷹」の立派な腕前を見て、その末子を鷲の娘の「乳のやさしさ」にめあわせようと思っていた彼は、このことを「黒鷹」に頼んだ。「黒鷹」は早速出掛けたが、向こうへ着いて見ると、多勢の招待された人々が集まっていた。天国の神雄ビオカスティ(Byokasty)が「乳のやさしさ」と結婚するために天国から降りて来ているのでした。ビオカスティは後ろに九十人の悪魔の神雄を従えていたが、「黒鷹」は彼らと戦って彼らを打ち破った。ビオカスティはその部下の者が打ち負かされたのを見て、逃げ帰った。そこで「黒鷹」は「乳のやさしさ」を連れて、舅の家に帰った。やがて盛大な結婚式があげられた。その後「黒鷹」は妻のカチラン・コを連れて、自分の家へ帰った。家には、彼が前に今の舅の許へ行く途中で出会った、例の使いがいた。彼は「黒鷹」の不在中、家の中で働いていた。そこで「黒鷹」は彼に、一本足の妻を与えた。そして両人は以後「黒鷹」の奴隷となった。この二度目の結婚によって、「黒鷹」には多勢の子供ができた。彼らがいまのヤクート人の祖先である。
解釈
この話は女が女の身体部位として出てきていると思う。これはユミルのことを示しているのか、はたまた、ベヒモス(またはアールマティ)を示しているのか。まず、自分の妹「美しさ」であるが、これがすなわちアニマを示していると考えられる。次に「声の主」という悪魔であるが、これがアニマが具象化した「黒鷹」の性欲から成り立っている。「声の主」はカチラン・コを殺すために、夫の片方の身体を取り上げる。これは特にその女が右のみで存在しており、その実際の本質は夫からもらうということを利用した仕打ちである。この点で悪魔と評されるのであろう。そして鷲の娘の「乳のやさしさ」に自分の末子を結婚させると言うが、これは「声の主」と反する善意であり、「声の主」が言葉を支配するのに対して「乳のやさしさ」はマハルを差し出す。この事は「黒鷹」がそのやさしさに捉われずに進むためであると考えられる。そして、本当の妻であるカチラン・コと結婚するという。この時漸く自らの妹すなわち「美しさ」を取り返したことになっている。そして、注目すべきはこの物語の始まりの話で、ここでいう牝馬はまさしくペルシャのラクシュの生まれ方と似ているのである。この事はまさにハールートとマールートが遣わしたことのように思うのである。しかし、「黒鷹」はこの馬を石臼を括りつけて川へ落とし、また次には火あぶりにしてしまった。この事はラクシュの母馬が凶暴なことと関係があるようである。すなわち、「黒鷹」に試練を課したのはこの母馬の怨念であると思われるのである。なぜなら、火あぶりにした翌日に「美しさ」は行方をくらましている。ルスタムはおそらく愛ゆえに母馬を倒したのであるが、しかし、その後の展開の中では女に恨まれるような魔術的な展開が多い。この点でこの母馬という聖霊は非常に多くの幻術の持ち主と考えられる。これはケルピーなどの聖獣だろうか、もしくは更に上の者なのか、定かではない。ただ、このヤクート人の神話には非常にゾロアスター教の前身の遺影が見え隠れするのである。
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地の起源
世界のできる前は水ばかりで、土というものが少しもなかった。天もなければ、太陽も月もなかった。神様があちこちへ飛び回っていた。その他、一人の男と、一番の黒い鷲鳥とが飛び回っていた。神様は別に何も考えてはいなかったが、男が風を起こして、神様の顔に水をかけた。この男は神様よりも、高いところへ登ろうとして、かえって誤って水の中に落ち込んだ。溺れかけている男は神に助けを求めた。そこで神様が、出るように言うと、その男は自ら出て、高いところへ上がることができた。神様はさらに、岩が出よ、と言った。すると海の底から一つの岩が出て来た。その上に男は神様と一緒に住むことになった。神様が海の底へ行き土を取ってくるように言ったので、男は地の底へ降りて土を手に掴んで神様にささげた。神様はその土を、海の表面にまき散らして、陸になれ、と言った。このようにして陸のもとが出来た。次にまた、下りて行って土をもっと取って来るように、神様は男に言った。男は今度降りて行ったときには自分の土も取ってこようと思っていたので、彼は海の底へ降りて行って、二握りの土を取って来た。そして一握りの土を神様に捧げ、他の一握りの土を自分の口の中へ入れた。その男は神様の目を盗んで、ひそかに自分の陸を作るつもりだった。神様は男の差し出した一握りの土を取って、それで地面を厚くした。また、男の口に入れた土は脹れ上がって男は今にも息がつまりそうになった。そして喉をごろごろ鳴らして、死にそうになった。彼は神様の傍から逃げ出して、遥か遠方に飛んで来たと思って、あたりを見回すと、彼のすぐそばに神様が立っていた。彼はほとんど息を詰まらせて、神様に助けを求めた。神様は男に、なぜ土を口の中に隠しているのか、と尋ねた。男は、自分がこっそりと陸を作るために土を口の中に入れたと答えた。神様は吐き出すように命令した。そしてその男の吐き出した土が山になった。神様は「お前は罪を犯した。私に向かって悪さをしたのだ。お前はこれからは、エリック(Erlik)と呼ばれよ。私はクルビスタン(Kurbystan)と呼ぶ。そして悪い考えを抱いている者どもが、お前の人民となり、正しい考えを持っている者どもが私の人民だ。」と言った。枝のない一本の木が生えていた。神様がこれを見て、枝のない木は面白くない、九本の枝を出せ、と言うと、その木に九本の枝が出た。神様がまた、その枝の下に九人の男が出よ。そしてそれから、九つの民族が出よ、と言った。やがてその木のある所に、いろいろ騒がしい物音が起こった。エリックはこれを聞きつけて、神様にその音がどこでしているか尋ねた。神様は、エリックも王様であるが、ご自分もまた一人の王様で、そして音をさせているのはご自分の人民だ、と答えた。エリックは、神様の人民を自分にくれるように頼んだ。神様は、お前にはやれない、待って居ろ、と言った。しかし、エリックは、神様の人民を見てこよう、と独り言を言いながら、その物音のする場所へ行って覗いて見ると、そこには、人や、動物や、その他の生き物が沢山いた。エリックは、彼らがその木の片側だけから食物をとっていて、他の側からは取っていないのを見て、なぜ別の側からは食べないのか、と尋ねた。すると一人の男が、「これは神様が私たちへ割り当てられた食物です。神様は皆に『この四つの枝の食物を食べてはならぬ。あとの五つの枝の食物なら、日が昇ってから食べてもよい』と言って、天へ昇って行きました。神様は、木の根元へ一匹の犬を座らせて、『悪魔が来たら、捕まえよ』と言いつけました。犬の他にも一匹の蛇をそこに置いて『悪魔が来たら、悪魔に咬みつけ』と言いつけました。そしてさらに、犬と蛇とに向かって『日が昇ってから、ここの五つの枝の果実を人々が取りに来たならば、彼らにそれを取らせよ。しかしあの四つの枝の果実をとろうとする者は、近づけてはならぬ』と言いました。」と言った。これを聞いて、悪魔のエリックがその木の傍へ行って、テレンゴイ(Torongoi)という名の男に向かって、「神様がもしもお前たちに向かって、この五つの枝から食物をとって、他の四つの枝からは食物をとってはならぬと言ったならば、それは間違いだ、嘘だ。その四つの枝の食物がお前たちの物であって、この五つの枝のはお前たちの食物ではない」と言った。こういっておいて悪魔は蛇の身体の中へ入り込んだ。そして蛇を促して、木に登らせた。蛇は木に登って行って、神様が人に食べてはならぬと言って置いた果実を食べた。その時テレンゴイを一緒に、エジという一人の乙女がいた。蛇は「テレンゴイとエジよ。これをお食べ」と言ったがテレンゴイは「いや私は食べない。神様が食べるな、と言った者は食べられない」と言った。そこで蛇は、その果実を少女のエジに与えた。彼女がその果実を食べて見ると、非常に甘かった。しかしテレンゴイは食べようとしない。それでエジは果実の皮を剥いて、テレンゴイの口の中へ入れた。この時、彼女の身体の毛がはげ落ちてしまった。彼女は恥ずかしがって、一本の木の蔭へ身を隠した。テレンゴイもまた、他の木の蔭に隠れた。そこへ神様がやって来たが、誰もいなかった。「テレンゴイよ、エジよ。お前たちはどこにいるのか」と神様が呼ぶと、木の上から、「私たちはここにおりますが、出て行けません」と言う声がした。神様が、どうしたのか、と言うと、エジが禁断の木の実を自分の口の中へ入れた、と答えた。神様がエジに、なぜそのようなことをしたのか、と尋ねると、蛇が私に食べよと言った、と答えた。神様が、蛇にどうしたことかと尋ねると、蛇は「私が食べよと言ったのではありません。悪魔が私の身体の中へ入って、そういったのです」と言った。神様は「どうして、悪魔がお前の身体の中へ入って行ったか」と尋ねると、蛇は「私の眠っている間に、悪魔がやって来たのです」と答えた。そこで神様は「犬よ。お前はなぜ、悪魔を追っ払わなかったのか」と叫んだが、犬は、「私は悪魔の姿を見ませんでした」と言った。神様は、「おお、蛇よ。お前は今悪魔になった。人々はお前を憎んで、打ち殺すだろう」と言ったが、またエジに向かって神様は、「お前は私が禁じて置いた食物を食べた。お前は蛇の言うことを聞いて、蛇の食物を食べたのだ。いまお前には子供が出来ている。お前はそのために、大いに苦しんだうえ、死んでしまうのだ」といい、またテレンゴイには、「お前は悪魔の食物を食べた。私の命令に背いて、悪魔の言葉に耳を傾けた。悪魔の言葉に従ったものは、悪魔の国へ行くのだ。私の言葉に従わなかったものは、これからはもう、私の光を見ることができない。私の恵みを受けることもできない。そして暗がりの中に住むのだ。悪魔は私の敵だ。テレンゴイ、お前もまた私の敵だ。しかしお前にはいま、九人の息子と九人の娘とができている。私はもう人間は造らないから、その子供たちが人間のもとになるのだ」と言った。次に神様は悪魔に向かって、「お前はなぜ、私の所の者を惑わせたのか」と尋ねた。エリックは「私はあなたに、彼らをくれと言ったのを、あなたは断ったから、私は彼らを盗み出したまでのことだ」と答えた。神様はそこで、「この地の下に太陽も月もない。暗闇の国がある。私はお前たちをそこへ投げおろす。私はもうお前たちには、食べ物をやらないから、自分の力で身を養うがよい。私は二度とお前に会って話するようなことはしない。その代わりメーテーレ(Mai-tere)をやるから、彼から物を製造することを教わるがよい」と言った。メーテーレは彼らの所へ行って、麦や、大根や、玉ねぎなど、すべての物を作ることを教えた。そこで、悪魔は、「メーテーレよ。神様の所へ行って、私が上に登って、神様の傍へ行けるようにしてきてくれ」と言った。メーテーレは神様の前へ来て、62年の間、頭を下げて頼んだ。神様は、「よし、それではもしお前たちが、私に向かって、敵意を示さず、また私の人民たちに悪さをするつもりがないならば、やって来い」と言った。そこでエリックは、天へ昇って来て神様の前に頭を下げて、「おお神様。私に祝福を与えて、私に天国を造らせて下さい」と言った。神様は祝福を与えて、「天国を作れ」と言った。エリックは神様の祝福によって、天国を作った。そしてその悪魔の天国には多くのものが伸び栄えた。神様の人民の中に、マンディ・シャイア(Mandy-Shire)という一人の男がいた。「我々人民が地上に住んで、エリックの人民が天国に住むとはけしからぬ」と考えた彼は、エリックと戦いに出かけた。エリックはマンディ・シャイアと戦って、これを打ち負かした。マンディ・シャイアが家へ逃げ帰ってくると、神様は、「どこへ行ってきた」と尋ねた。マンディ・シャイアが、「エリックの人民が天国に住んで、我々が地上に住んでいるのは面白くない。私はエリックの人民たちを地上へ投げ下そうとしましたが力及ばず、彼らを除くことができませんでした」と答えると、神様は、「エリックはお前よりは強い。まだその時ではない。時が来れば私はお前に、さあ行け、と言う」と言った。マンディ・シャイアは長い間、おとなしくしていたが、やがて、「神様が言った、さあ行け、という日が来た」と考えた。神様に会うと、神様は「さあ、お前の考えを実行せよ。お前は強くなった。素晴らしく強くなった。」と言った。マンディ・シャイアはたいそう喜んで、「私は火打石もなければ、槍もなければ、剣もない。ただこの赤い腕があるだけだ。この腕で彼を打ち倒すのだ」と言って笑った。神様は「これを持って行け、この槍を」と言った。彼は槍を貰って天国へ行き、エリックと戦って彼を追い払い、エリックの天国を持って行った槍で打ち砕いて、そこにある物を尽く下へ打ち落とした。このときまでは、地上には石もなければ岩もなく、また林もなかったのですが、この時エリックの天国の、打ち砕かれた破片が、地上へ落ちて来て、岩となり、石となり、山の森となった。次にマンディ・シャイアはエリックの人民たちを天国から地上へ投げおろした。彼らのうちのある者は、立木に落ち掛かって死に、ある者は石の上に落ちて死んだ。そして全部死んでしまった。エリックは神様から土地を貰おうとして「神様。あなたは私の天国を打ち壊してしまいました。私は今少しの土地も持っておりません。少しでよいから、私に土地を下さい」と言ったが、神様は「お前には土地を与えない」と言った。「五尋の土地でよいから」と言っても、神様は土地を与えなかった。エリックは手に持った棒を土の中に突きさして、「神様。この棒の先の所の土地だけでよいから、私に下さい」と言うと、神様は打ち笑って、「ではその棒の下の所の土地だけを、お前に与えよう」と言った。エリックはこの小さい土地の上に、また天国を作り始めた。しかし神様はこれを見て、「降りてこい。お前は地の下へ国を作って、そこに閉じ籠れ。もしもお前がいい行いをしていれば、お前をまた、私の光の届くところへ出してやる」と言った。エリックは、「それでは、死人を残らず連れて行かせてください」と言うと、神様は、「いや、いけない」と言った。悪魔は「おお、神様。私には人民がない。独りで地の下へ行って、何をしたらよいのだろうか」と言うと、神様は、「ではお前の望む物を作れ。お前は物を作ることができる」と言った。エリックはこれを聞いて、神様の前に低く頭を下げ、「では神様のお許しを得て、私は物を作ります」と言った。神様はそこで祝福を与えた。エリックは鞴(ふいご)を作り、その鞴を釘抜きの下に置いて、上から槌で打った。すると下から一匹の蛙が飛び出した。も一度打った。すると蛇が這い出して来た。更に打つと、熊が出て来て走り出した。次には野猪が出て来た。更に槌を打ち下ろすと、一人の毛だらけの悪魔が出た。もう一つ打つと、一頭の駱駝が飛び出した。そこへ神様がやって来て、エリックの鞴と釘抜きと槌とを火にくべると、鞴からは一人の女が立ち現れ、釘抜きと槌とからは、一人の男が現れた。神様がその女を叩くと、その女は一羽の青鷺(あおさぎ)になった。また男を叩くと、男は一匹の鼠になった。次に神様は人々に向かって、「私はお前たちのために家畜を作ってやった。食物も作ってやった。また地上に飲水を出してやった。さあお前たちは今度は、私に向かいいいことをしなければならない。私はこれから出かけるから、そしてすぐには帰らないから、シャル・ジム(Shal-Jime)よ、お前は注意して、良い死に方をした人民を受け容れよ。自殺したような人民は捨てておけ。他の人民と戦って死んだ人民を、私の国へ連れてこい。金持ちの物を盗んだり、他人に悪さをしたりした者は、受け容れないで、捨てて置け。そして私のために、または統治者のために、死んだような者を私の国へ連れてこい。私はお前たちを助けて、悪魔を追い払っておいたが、もしまた悪魔がやってきたらば、彼に食物を与えよ。しかし悪魔の食物を食べてはならない。もしもお前たちが、悪魔の食物を食えば、お前たちは悪魔の臣下になってしまう。私の言葉を忘れるな。さあ出掛けよう。しかしまた私は帰って来る。私が帰ってくるということを忘れてはならぬ。私はこれから遠くの方へ行くが、かえって来ればお前たちが善いことをしたが、悪いことをしたが、わたしにはよく分かる。ジャプカラ(Japkara)と、マンディ・シャイアとシャル・ジムとは、お前たちを助ける。ジャプカラ、お前はよく気を付けて、エリックが死人を取りに来たら、マンディ・シャイアに告げなければいけない。マンディ・シャイアは強いから、エリックを打ち負かすことができる。シャル・ジム、お前は地価の悪魔の番をしておれ。もし彼らが地上へ出てきたら、メー・テーレに告げよ。メー・テーレは強いから、悪魔たちを打ち退ける。ポド・スンク(Podo-Sunku)は太陽と月とを統御し、マンディ・シャイアは天国と地上とを護る。メー・テーレは悪を退けて、善を守る。お前たちは統治者を悪いと思っても、その臣民を悪者だと思ってはならぬ。またたとえ領主が善くても、その人民までが皆全員であると考えてはならぬ。人々には善いことを教えよ。魚の釣り道具を教えよ。網で魚を捕えることを教えよ。また栗鼠を射ったり、牝牛を飼ったりすることを教えよ。そして私が人々を導いたように、よく人々を導け」と言った。そして神様はこの地上を去った。後に残ったマンディ・シャイアは、魚の釣針を作ったり、舟を作ったり、網で魚を捕ったり、火薬と鉄砲を作って、栗鼠を射ったりした。そして神様の言いつけ通り、人民にいろいろと、良いことを教えた。ある日のこと、マンディ・シャイアは「今日、風が私を連れて行く」と言ったが、その日本当に旋風(つむじかぜ)が起こって、彼を連れ去った。ジャプカラは、「神様がマンディ・シャイアを連れ去ったのだ。彼を探しても、お前たちには見つからない。私も神様の国へ帰ろう。お前たちはいろいろと教えられたことや、神様から授かった力を忘れてはならぬ」と人々に言いつけて、彼もまた行ってしまった。
解釈
まずこの話が創世記になぞらえて話されていることは確かである。しかし、アダムとイブとはまた異なった世界が存在するかのような記述である。アダムとイブの前にリリスがいたというパレスチナの記述は、またこの側面とも異なるように思うし、ニュージーランド諸島でも人間の異なった造り方が示されている。この点を考慮すると、最終的にはアダムとイブの他にも人間がいたような意味を見出しうるが、どこまでが作られた話で、どこからが真実か見極めが難しい。エリックと言う人が太平洋を作った痕跡は否めないと思うが、ましてや、日本こそエリックが作ったようにも思う。その点ではこの人間というのも第五の日の象徴を示しているのかもしれない。リリスが存在するのか、リリスゆえの多世界なのか、そしてその時点では人間ではなかったのかもしれず、まず、人間の創造の理由には第五の日のケツァルモー、そしてザハル、ウネケバーということの後にそれが起こっているということである。これを考慮するならば、まず最初に男女の黒鷹があってのことゆえにザハル、ウネケバーの象徴とケツァルモーのことかもしれない。すなわちケツァルコアトルは神を知り、それゆえにエリックが生まれ、性差というもの、すなわち第四の日、マニトー、イラトーによって例証された性差が、この黒鷹にあらわれているという可能性が強い。これは神を知ってはいけないという二つ星の善性が魂にあらわれ黒鷹となり、ケツァルコアトルの力が魂としてエリックになったのかもしれない。そして、エリックがマステマに属する者という可能性もあり、また、マンディ・シャイアが授かった槍は非常に象徴的である。これがキリストを刺したものかもしれない点、キリストをエリックと同一視する視点が、紙一重でユダヤ人の目に映った可能性、もしくは本当にキリストはエリックといて、それゆえにマステマを受容していた可能性がある。また、物作りをした点、メーテーレはその語彙からプロメテウスにも思われる。さらには神が燃やした道具は、鞴から女が現れ神が叩くと青鷺になり、釘抜きと槌から男が現れ神が叩くと鼠となった。これは物が人間になる理由が動物が神の荷姿となったという意味のようにも受け取れる。マンディ・シャイアは旋風が起こって、彼を連れ去った、とあり、ジャプカラはそれを神様がマンディ・シャイアを連れ去ったとあり、またジャプカラ自身も神の国へ帰ろうと言って、帰った。この事がエノクを思わせるのは事実であるが、エノクではないとも思える。非常に第五の日の象徴と第六の日にかけての出来事の一部を想起させる話である。
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汗ペジティと彼の百人の妃
汗ペジティには妃が百人いた。あるときのこと、一羽の鷲が、彼の領土へ飛んで来たのを見て、汗は「なぜお前は私の所へ飛んで来たのか」と鷲に尋ねた。「ずと遠方に、一人の神雄のツアーが住んでいる。ツアーの王女は太陽と月とに似ている。神雄のツアーの所へ行って、王女をお取りなさい」と鷲は答えた。汗ペジティは、すでに百人の妃があるので、その乙女を取りに、自分で行きはしなかった。彼の王子に言いつけて、彼女を連れて来させた。王子は父の命令を受けて、長い旅をして、遂に神雄のツアーの帝国へ着いた。神雄のツアーは、この訪問客を迎えて言った。「なんのために来たのか」「陛下の王女を貰いに来ました」「よろしい。しかし私を舅に持つためには、お前は、この空の果てにある大きな湖から、まず金の砂を持って来なければならない。このことをしなければ、私の娘をやることはできない」若者は彼の未来の舅の言いつけを実行した。彼はその大きな湖へ行って、砂金を取って来て、神雄のツアーに渡し、自分は王女を受け取って、故郷へ帰って来た。彼の父の汗は家から出て来て、彼らを迎えた。父はその乙女の美しさが太陽のように輝き、月のように光っているのを見て、家へ入るなり、「その乙女を私の妃にする」と言った。「いや、いけません。彼女は、あなたのために連れて来たのではありません」と王子は答えた。汗は「彼女を自分のものにしたいのなら、お前は七つの山を越えて行って、七つの皮の水源の所に飼ってある黒い牡牛の骨を持って来い。」と言った。その若者は早速、三叉の槍を携えて七つの山を通り、七つの河の源の所へ着いた。そこで一頭の黒い牡牛に出会うと、牛は怒って若者目掛けて飛びかかって来た。彼は少しも恐れず、槍を執って牛の横腹を突き刺して牛を殺し、その骨を取りました。しかしその骨は非常に重かったので、彼はそれを、七頭の馬に積んで帰って来た。汗ペジティは斧でその骨の両端を斬り落とし、その中へ、沢山の酒を入れて、家中の者に御馳走した。皆がすっかり酔っぱらったとき、ペジティは立ち上がって、彼の剣を取り、彼の王子はじめ、百人の妃を皆殺しにしてしまい、彼の嫁と結婚した。
解釈
この汗ペジティがなぜ百人の妃を持ち、王子に神雄のツアーの王女を連れて来させて王子を殺したかが、問題の点である。仮にペジティの本当の妃がこの連れて来られた王女だったら、この行為は意味のあるもので、その叶わない思いゆえに、また、王女のゆえか、王子のためか自分が前世に罪のない災難にあったことが伺える。しかし、これが単に、神雄の王女であったためであれば、単なる欲望によるものである。
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駱駝と驢馬の起源
テーベット・タナット(Tebet-tanat)という民族が住んでおりました。中国では、そういう民族がいるということはわかっていたが、果たしてどこに住んでいるかはわかっていなかった。テーベット・タナットは不思議な民族で、主に木の芽を食べて生きていた。中国からは、大勢の探検者が出掛けたが、どうしてもテーベット・タナットの国へ入ることができなかった。ある時一人の中国人が、「私が行って来る」と言った。王様がこれを聞いて、「お前はどうしてあの国へ入り込むつもりか」と尋ねたが、その男はその方法を言わなかった。「それでは、確かにテーベット・タナットの国へ行ってきたという証拠として、そこから一人の男を連れて来い」と言った。その男は王様に約束して出掛けたが、途中無事で、とうとうテーベット・タナットの国へ着いた。その国へ入って見ると、そこの人民たちは家というものを持っていなかった。また病など少しも起こったことがなかった。とにかくその中国人は一人の男を連れて、中国へ帰って来た。しかしこの二人が去った後で、テーベット・タナットの人民の間に、いろいろな病気が流行り出したので、彼らは呪いを中国へ送った。全ての呪いを寄せ集めて、山ほどの高さにして、空を通して中国に向かって送り出した。中国の方でもこのことを知って、やはり沢山の呪いを集めて、テーベット・タナットの国へ送った。そしてこの二体の呪いは途中で出会って、闘いを始めた。お互いに咬み合ったり、咬みあったり、かじり合ったりしたので、前のテーベット・タナットの国から送り出した呪いは、遂に駱駝の形になった。そして動物となって中国の国へ入り込んだ。また中国から来た呪いは一頭の驢馬くらいの大きさとなり、とうとう驢馬になってしまって、テーベット・タナットの国へ入った。いまでも中国へ行くと、ところどころに駱駝がうろついており、テーベット・タナットの国には驢馬が歩いている。
解釈
テーベット・タナットがチベットか、もしくはマジカントに近い国なのかが気になるところである。
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馬鹿
ある街に大勢の馬鹿者が住んでいた。その馬鹿者の一人が、馬鹿でない一人の息子を持っていた。父親はこの息子の嫁を探してやったが、二、三日の後、母親は嫁に、牝牛の乳を搾ることを言いつけた。しかし彼女が牝牛の前へ坐って、仕事を始めようとすると、急にしゃっくりが出てきた。彼女は泣きながら牝牛に向かって、「ああ、これを誰にも話さないでおくれ。誰かに聞かれても、もしも夫の耳へでも入ると、来たばかりの私は、非常に恥辱だから」と言って、誰にもこのことを話さないようにと、牛に頼んでいた。さて、母親の方では、「乳を搾りに出てから、大分時が経つが嫁はいったい何をしているのだろう」と思って、出掛けて行くと、嫁は牛の前に座って、何か一生懸命に頼んでいた。「どうしたのだ」と尋ねると嫁は、「乳を搾っている時に、私はしゃっくりをしました。それで今、誰にもそれを話さないようにと頼んでいるところです。」と答えた。母親はこれを聞いて、早速家の中から一皿の糠(ぬか)を持って来て、これを与えて、嫁がしゃっくりをしたという悲しい出来事を、誰にも話さないようにと牛に頼み込んだ。暫くして、父親がやって来て、「どうしたのだ」と言った。母親が前の不幸な出来事を話し、今それを誰にも言わないようにと、牛に頼んでいるところだというと、父親はまた、早速家の中から、糠を持って来て牛に与えた。そして三人の者は牛の前に座って、哀願していた。そのうちに息子が家へ帰って来たが、家の中には誰もいないので、牛小屋へ行ってみると、そこに彼の父親と母親と嫁とが、牛の前に座って泣きながら何事かを哀願していた。彼が尋ねると、母親は詳しく訳を話した。これを聞いて、彼は怒って、「今日中にお前たちのような馬鹿が三人見つかれば助けておくが、もし見つからないときは、容赦なく殺してしまう」と言った。そして彼は馬鹿を三人探しに出掛けた。路を進んで行くうちに、四人の人のいるところへ来た。この四人は一本の木の梁を家の中へ持ち込もうとしているのであるが、彼らはその梁を横にしたままで、戸口を入ろうとしているので、梁は戸口に支えて中に入ることができなかった。四人の者は梁を舌に下ろして、集まって相談を始めた。四人の中の二人は、「この梁を二つに切ろう」と言ったが、その梁の持ち主は、「いや、この長さのままの梁がいるのだから」と言っていた。そこで残る一人が、「それでは、この戸口を壊そうではないか」と言った。丁度彼らが戸口を壊そうとしている時、前の者がやって来て、訳を聞いた。そして、「その梁を横にしないで縦にして運び込んだらよいじゃないか」と言った。そこで四人の者は、梁を縦にして、家の中に持ち込むことができた。もしも彼が来なかったら、戸口は叩き壊されていたのであった。四人の者は彼を本当に賢い人だと思った。も少し進んで行くと、畑に綿の木を造っている一人の男がいた。丁度その時、彼の畑へ一頭の駱駝が入り込んでいたが、「あの駱駝を追っ払うことはよいが、もし逃げる時に、いま水をやったばかりの綿を、踏み倒して行くから困る」と考えたその男は、十人程の人々を呼び集めていろいろと相談した。「駱駝の四つ足を縛り上げて、皆で引きずり出そう」ということになったが、十人の力では、どうしても駱駝を引きずり出すことができなかった。そこへ若者がやって来て、訳を聞くと、畑の主が、「ここは私の畑ですが、いま一頭の駱駝が入り込んで困っている。もし駱駝を追っ払えば、足で綿の木を踏み倒して行くから、今四つ足を縛り上げて、皆で引きずり出そうとしているところです。」と答えた。これを聞いて若者が、「お前さんたちは馬鹿だね。誰か一人が手綱を取って、駱駝を連れ出せば、それでよいじゃないか。駱駝を縛り上げて引きずって行けば、それこそかえって沢山のの綿の木が踏み倒されることになる」と言った。それで彼らは駱駝の足を解き、一本の手綱を持って外に連れ出した。彼らは大喜びで、口々にその若者の賢いことを褒め合った。そこで若者は、「この町には大勢の馬鹿者がいる。私は父親や母親や嫁を殺さずにすんだ」と言って帰って行った。
解釈
この話はこの地域の人民がさほど思考に長けていないことを示しているが、しかし、この愚かさの象徴は全くこの一人の馬鹿ではない若者のために退き起っているとも考えられる。それは多くの人の内賢い者とそうではないものという二分が両極性を引き起こしているということが考えられるからである。しかしこれが真実なのかは定かではない。というのも、単に客体に置いてこのような両極的な分離が認められるのであって、主体的にはこのような分極は認められないと考えられるからである。すなわち、全体の客体例証においてのみ、このような有利不利なる能力の争奪があり、この事はただ愛によってのみ、争奪可能である。この点を考慮すると、人々は初めから客体に曝されているか、愛のない、または成就しづらい環境において未開人というレッテルを張られているように思う。この点で客体に曝される環境程、発展途上国となる可能性が高いのではないだろうか。それは建てたものについても、いずれ崩れ落ちる可能性を示唆している。すなわち、客体における生成は常に不安定であり、おそらくはいくら人員を増加させてもそれは窮極的には人間に対して負荷でしかないのである。若い人は美において愛を得るために多くの与件を合成するが、これを利用した建国も然りである。すなわち、それは自然な環境という側面をないがしろにした人工的な与件を合成し、愛を誤らせうることに少なからず貢献している。しかしそれ自体は終わりのない、まったく無謀な目的を持っていて、抱えきれないことは自明である。それゆえにまた新しい若者が増員され、自らの愛の内にない与件に多大な力を費やしてしまいかねない。このために、ある地域では愚かにふるまうことによって、その悪循環を無に帰しているとも考えられるのである。
擁護
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婆さんの計略
昔、一人の美しい乙女がいて、一人の若者と恋仲であったが、彼女はある大臣の息子と結婚した。大臣の息子は、彼女を七つの河のある所へ連れて行って、誰も近寄ることのできないようにしておいた。乙女と別れた若者は、ある日一人の婆さんの所へ行って、一本の金の延べ棒を差し出して、「どうぞ、あの乙女を取り戻してください」と頼んだ。婆さんは「一つ好い思い付きがある。明日来い。」と言った。明くる日、若者が婆さんの所へ行くと、婆さんは一つの箱を持ち出して来た。そして大臣の息子のいる狩場へ行って、若者を箱の中へ入れた。婆さん自身はちょうど訴えに来たような風をしていた。大臣の息子はこれを見て、「こんなところで何をしているのか」と尋ねた。婆さんは、「私は四十年の間、神様にお祈りをしているのです。」と答えた。また、息子がその箱の物は何だと聞くと、婆さんは、この箱の中には彼女の包屍布(かばねまき)が入れてあると答え、そしてまた、あなたは男かそれとも夫のある女かと尋ねた。大臣の息子が、「私は男だ」と答えると、婆さんは、「これは穢らわしい。私は四十年の間、男を避けてこの草原に居たのです。あちらへ行ってください」と言った。大臣の息子は婆さんの言うことを、すっかり信じてしまって、「私も自分の妻を男から遠ざけている。七つの河の所に一軒の家を建ててそこに住まわせている。妻の所へ行って、話し相手になってくれ」と言った。婆さんは早速例の箱を持って、七つの河の家へ行った。大臣の息子は妻に、「この人は男の眼を避けて、長い間町から遠ざかっていた。私は今お前の話し相手に連れられてきた」と言うと、その妻も大層喜んだ。明くる朝、大臣の息子が猟に出掛けた時、婆さんは彼女にあれこれと、いろいろな話をした後で、「こんな淋しい所にいて、何かいいことがありますか」というと彼女は笑いながら、「誰も人の来ないここに、どうしていいことがありましょう」と答えた。そこで婆さんは「あなたは恋仲だった一人の若者がおありでしょう。私はその若者が、あなたに有頂天になっているのを知っています。彼をここに連れて来てもよいでしょう。」というと、彼女はこのことを承諾した。婆さんは例の箱の中から若者を出して、彼女に会わせた。そして二人は幸福な数日を過ごした。ある日大臣の息子が猟の途で、一人の托鉢僧が昼寝をしているのを見た。そして托鉢僧のもっている袋の中から、一人の美しい女が出て来た。その後に続いて、一人の若者が出て来て、二人の者は托鉢僧の許から遠くへ遊びに出掛けたが、やがてまた帰って来て、二人とも袋の中へ入った。これを見て大臣の息子は、「ああ、この男は自分の妻を袋の中へ入れて歩いているのに、彼の妻はひそかに他の男を連れている。女はくせ者だ。この間、私が家へ連れて来た婆さんもただ者ではない。包屍布(かばねまき)が入っていると言った箱の中には、きっと一人の若者が入っている。そして私の妻は、箱の中の若者と悪さをしているのだ。そうだ、この男を連れて行って、女どもの悪計(わるだくみ)を見破ろう」と考えた。そこで大臣の息子は、托鉢僧を呼び起こして、「七つの河の所の私の家まで来てくれ」と言って、その托鉢僧を連れて家へ帰った。彼は、「食べ物を三人分持って来い」と命じた。料理番が三皿の食物を調えて主人の傍へ持ってくると、彼は托鉢僧に向かって、「さあ二人で食べよう。残りの一皿は、その袋の中の男の分だ」と言った。托鉢僧は、「私の袋の中には男はいません。」と答えたが、彼は、「早くここへその男を出さぬと、お前を殺してしまう」と言うと托鉢僧は、「袋の中には私の妻がおります。もし私が彼女をここへ出せば、彼女は非常に恥ずかしがるけど」と言って、彼の妻を袋の中から出した。「まだ中にいる」と言って、大臣の息子はなかなか承知せず、遂に袋の中から一人の男を引っ張り出した。托鉢僧は妻の行いを知って、そこで気を失ってしまった。次に大臣の息子は、自分の妻を呼んで、「この皿の食べ物を食べよ」といい、また婆さんを呼んで、「お前のあの包屍布を入れてある箱を持って来い」と言った。婆さんは、「あの箱を持ってきたら、それをどうなさると言うのですか。私の包屍布の他には、何も入っておりません」と言ったが、大臣の息子は、「持って来なければお前を殺すぞ」というので、婆さんは箱を持って来た。そして箱の中からは一人の若者が出て来た。これを見て大臣の息子は托鉢僧に、「女というものは嘘つきだ。私も妻を汚れさせないようにと、七つの河の所に家を建てて、そこへ住まわせておいたのに、妻はひそかにこの箱の中に一人の若者を匿っていた。お前もまた妻を袋の中へ入れて持って歩いていたのに、お前の妻はやはり袋の中へ男を連れ込んでいた。女は皆不実なものだ。我々はもう女を見捨てよう。そして世を去って、さすらいの旅に出よう」と言った。そしてこの二人は立ち去った。後には前の女たちと、彼女らの恋人とが残った。
解釈
この話はまず、この若者と乙女が本当の愛の内に居たのかが鍵となる。しかし、この大臣の息子は達観した強者である。して、この大臣の息子と乙女はまず、本当の愛の内にあるとは思えないが、女を持たずして、なすべきことがあるというのが正しいと考えられる。そして、若者と乙女の仲が暴かれたきっかけである托鉢僧においては、同様の仕業で妻を他の男に奪われている。この事は大臣の息子の力ゆえに起こっている。つまり投影されたものとして、引き起っている。確かにこの点においては、托鉢僧ということが、大臣の息子の品格を信仰へと向かわせているようにも思う。そして、シベリア1の物語でも同様に、この地域の男はもともと女が嫌いである、という文化的なものも存在しているようである。仮に、若者と乙女の間に愛があるならば、この物語は確かに信仰と愛の物語であるが、もしも、若者と乙女の間には単なる性愛によるつながりしか認められないならば、この物語は大臣の息子の信仰の物語と解されるのである。最後に残された托鉢僧の妻と男、若者と乙女であるが、これはいかなる意味だろうか。前者の味方では愛のある場としての象徴が見受けられ、後者では、愚か者の鏡写しが見受けられるのである。
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若者と鬼婆との結婚
昔、一人の年寄の女がいて、一人の息子を持っていた。その息子は毎日お寺へ通って、読んだり書いたりすることを習っていた。その若者はお寺への往き帰りに、いつも一つの大きな石のある所に座って休んだが、ある時のこと、その石の上に本を載せてうとうとしていると、一人の美しい女が山の方からやって来て、傍を通り過ぎた。若者はいつまでもその女の後を見つめていた。夕方になって、家へ帰ると、彼の母親は、いつものように、茶を沸かしたり、食事を調えたりして待っていたが、彼はほとんど食事もとらず、明くる朝早くお寺へ勉強に出掛けて行って、夕方になるとまた、前の美しい女のことを思いながら家に帰って来た。母親はお茶をこしらえたり、食べ物を調えたりして、彼の帰りを待っていたが、若者は帰って来て、お茶を一杯飲んだきりであった。母親は息子の様子を見て、「どうしたのです。昨日も今日もなぜそんなに打ち沈んでいるのです」と尋ねたが、若者は本当のことを話さなかった。「お母さん。明日お菓子の用意をして置いて下さい。先生に会いに行きますから」というので、母親は菓子を息子に与えた。彼はその菓子を布に包んで旅に出掛けた。例の石の所へ来て見ると、前の女の足跡があったので、彼はその足跡を辿って行くと、一つの山の頂へ着いた。さらに進んで行って、その山の端の所へ来ると一軒の立派な家があった。そしてその家の中からは一人の灰色の髪をした婆さんが出て来て、若者が訪ねてきた理由を聞いた。彼が、「途に迷ってここへ来た」というと、婆さんは、「ではおはいりなさい。たったいま麓から来た一人の女の人も具合が悪くてここに休んでいますから」というので、彼はその家の中へ入って行った。するとその家の入口の近くに、一人の女が寝ていたが、それは彼が例の石の傍で見た女であった。若者が「どうしたのですか」と尋ねると、「私はいま麓から帰って来たところですが、私はあなたを恋してしまいました」と彼女が言った。彼もまた、「私もあなたを見てから、少しも心が落ち着かず、今日ここへ訪ねて来たのです」と言った。その女はじきに具合がよくなって、若者が取り出したお菓子を二人で食べて、たいそう元気づいた。「我々は暫く一緒におりましょう」と若者がいうと、彼女も承知したので、彼は三、四日ここで過ごした。さて、帰ろうとすると、彼女は「いったい、幾日くらいここにいたと思いますか」と尋ねるので、彼は、「三、四日もたったのだろうか」と言った。すると彼女は「あなたは丸一月ここにいましたよ。それであなたのお母さんは、あなたのいなくなったのを悲しんで、毎日毎日泣いてばかりいたので、涙のために眼がつぶれてしまいました。しかし、私はあなたに一つの石を上げますから、これを持って行ってお母さんの眼を擦ってお上げなさい。そうすればつぶれた眼は直ぐに開きますから」と言った。「会いたくなった時には、どうしたらよいのですか」と彼が尋ねると、「あなたに一本の扇を上げますから、もし私に会いたい時には、この扇で三度お招きなさい。そうすれば私はあなたの所へ行きます」と言って、彼女は一本の扇を彼に渡した。若者は家に帰って来て、「お母様。お母様。戸を開けてください」と言ったが、家の中では、「お前はもう死んだのだ。そこへ来ているのはお前の精霊だ。さあさあ、行っておしまい。いま御燈明をあげてやるから」という母の声がして、戸を開けてくれなかった。「お母さん、私は行きています。本当です。」というと、ようやく戸を開けたが、息子が意外にも生きて帰って来ているのを見て、驚いて倒れてしまった。朝になって、貰って来た石で母親のつぶれた眼を擦ると、眼が開いた。母親もこれで元通りの元気な姿となり、若者もまたお寺へ勉強に出掛けるようになった。しかし、彼がお寺へ行って帰って見ると、母親は死んでいた。それからは彼は一人で暮らさなければならないようになった。こうなるともう彼のために、食事を調えてくれる者もなければ、ストーブを焚いて待っていてくれる者もありません。彼は以前の女のことを想い出して、持って来た扇で三度招いたが、何のこともなかった。もう三度招いたが、彼女の姿は見えなかった。さらに三度合わせて九度招くと、初めて彼女がやって来た。そしてその女がこれから若者の家に居て、その世話をすることになった。ある日お寺で先生に、若者が山からその妻を連れて来たことを詳しく話すと、先生は、「お前の妻は人間ではない。きっと悪魔だ。後で家へ帰った時、こっそり窓から家の中を覗いて、彼女が何をしているか見るといい」と言った。若者がこれを聞いて急いで家へ帰って、窓から覗き込むと、家の中では彼の妻が四十尺もあるような蝋燭を灯して、彼女の首を身体から引き抜いて、それを手に取って、その髪を梳っていた。彼は驚いて先生の所へ逃げ帰った。ある日若者は先生と示し合わせて、彼の妻をお寺へ誘い出した。先生は弓矢の用意をして、入口の所で彼女を待ち受けていた。そして彼女が入口へ近づいた時、一本の弓を放ったが、彼女は手で見事に矢を受け取ってしまった。先生は、第二の矢を放って、今度は彼女の足を傷つけた。しかし、第三の矢が放たれた時、にわかに大風が吹き起って、矢もろとも、悪魔の妻の姿は消えてしまった。
解釈
この話は、息子が年老いた母親しか知らないゆえに起こったことかもしれない。年老いた母は息子のアニマの源泉であり、またその反動が息子の恋心の若い美しい乙女ということになるが、しかし、母の念が関係している痕跡が視力の喪失と関連していると思う。つまり母の息子への愛情が具現した現象を代理した眼力によっていると思うのである。息子は寺で勉学に励んでいるが、その代償に母に生活の世話をさせていた。そして更には、母が亡くなったことに対して、息子はやはりこの女を選んだということが表されている。それは扇を三度招くということであるが、これを三度すなわち九度繰り返していることが意味深い。三度であればそれは自身の性器に由来するのみであるが、更に三度となれば、彼の全身体をあらわすものと考えられる。それは母が遠方の女の怪物を呼び出すに匹敵する力であると思われる。女は子宮によってタニームもしくは森に関連付けられていることがわかる。しかし男はこれを呼び出してはならない。なぜなら、それは原初的な女の悪であり、現実を変える力であるからである。彼はそれを寺の先生の助けを以って改めている。この手の女はアフリカやオセアニアにある食事の用意をする鳥になぞらえて、そもそもの現実を代理する者ととらえることができる。では、代理はいかなる理由に置いて存在を許容されるのだろうか。確かに、ある生きるべき人間を生かすために必要なものと考えられるのである。しかし、その代償が計り知れないところを考慮するならば、それはいつ、また何のために、利用されるのだろうか。この代償が仮に、マステマの肯定であれば咎と見るべきであるが、この代償にもし何の不正もないのならば、この代理は必然的に善意であると言い得る。
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二十日鼠を馬と美しい妻に取り換えた若者
一人の婆さんが、一人の息子を持っていた。しかし彼が七つの時に、婆さんが死んでしまったので、彼は親戚の所に居て、毎日薪を拾い集める手助けをしていた。それから五つ六つ歳をとってからの事でしたが、ある日のこと、彼は灌木の下で一匹の二十日鼠を捕えた。それから遠くの方へ出かけて行って、一軒の家のある所へ来て、「ここには猫はいないか」と言った。家の主人がこれに答えて、「いないよ」と言ったが、突然一匹の猫が家の中から飛び出して来て、二十日鼠を食べてしまった。若者は怒って口争いを始めたが、遂に、そこの主人はは若者に猫を与えて、宥めた。彼は猫を持って先へ進んで行って、二軒目の家のある所へ来て、「ここには犬はいないか」と言った。その家の人が、「犬はいないよ」と答えた時、また一匹の犬が飛び出して来て、猫を食べてしまった。そこでその家の人はやむを得ず犬を若者に与えた。若者は犬を紐で縛って先へ行ったが、今度は一頭の馬が繋いである家の傍へ来た。「この馬は蹴らないか」というと、家の者は、「蹴るものか。とてもおとなしい」と答えた。と突然に馬が暴れ出して、彼の連れている犬を蹴飛ばした。そこで、若者は非常に怒りだした。そこでその家の者は若者を宥めるために、とうとう馬を彼に与えた。若者がこの馬を連れて、さらに先へ行くと、墓の中に一人の婆さんが死んでいた。彼はその死体を馬に積んで先へ行くと、一軒の家のある所へやって来た。そこに一人の美しい乙女が座っていたので、彼は、「水を一杯持って来て下さい。私はお母さんが眠っているので、ここを離れられないから」と言った。乙女が水を持って近寄ってくると、彼は、馬の上の死んだ婆さんを地面に突き落として、「なぜお前さんは、眠っている私のお母さんを驚かせたんだ。お母さんは馬から落ちて死んでしまったぞ」と言って、たいそう怒った。乙女の両親は、若者の怒りを解くために、その乙女を彼の嫁にくれた。彼は乙女を貰い、馬に乗って家に帰った。こんなふうにして、その若者は、一頭の馬と一人の美人の妻とを得たのでした。
解釈
この息子は非常に賢く、動物を味方につけているように思う。これは婆さんが年をとっていることに起因している。この少年はおそらくは、シベリア1の話のように、女を嫌っていた。なぜなら自分の母親が年をとっていたからである。そして、それゆえに女の罪をつくのが上手かった。それを利用して動物を操っていたと考えられるのである。そして、極めつけは最後に死んだ婆さんの死体を利用していることであるが、ここにもシベリア35の物語と同等の原理が得られる。この事はおそらく、年をとった女が原因で男が女を信じられないというジレンマをモチーフにしている。この年をとった女の正体が、ロシアまたは北欧(アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーなど)の魔女でおそらくは氷の心を持つ者と形容される女の事である。この女は全く心を開くことのない女として知られており、おそらくはイラドの妻と考えられる。またはメフヤエル、メトシャエルの妻と考えられるが、はたまた、もっと深い因縁が認められるならば、エノクの妻である可能性もなくはない。しからば、マーリンの妻、ヴィヴィアンではないのは、ヴィヴィアンは心は柔らかいのである。この因縁的な男と女の関係は、シベリア特有のものと考えられ、また、多くは女が男を苦しめることによるもののようである。そして、この国では太陽の妻になることがあり、月の妻になることはないような物語が多い。この点が考慮されるならば、女もまた、月の冷たさを嫌い、太陽の暖かさを求めるものかもしれない。
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父と子の戦い
ガリ(Galy)と言う名前のマホメット教徒と、ダリガ(Daryga)というロシア娘が出会った。ガリの身の丈は九十尺であったが、ダリガは百八十尺の高さであった。娘の力には誰もかなう者がなく、ガリはダリガに戦いを申し込んだ。娘の方では、百万人の軍勢を連れて、戦場へとやって来た。戦争は二週間続いたが、ガリはとうとう負かされて、ダリガの家来に追われて、ある山の所へ来て、お祈りをしていると、預言者のガブリエルが、「神様はきっとあなたのお力添えをする」と言って、ガリを励ました。やがてまた五百の馬が娘を金の玉座に載せて、第二の戦いの場所へ連れて来たが、今度はガリが勝った。かつてダリガの父親は死ぬときに、「お前に勝つ人と結婚せよ」といっていたので、ダリガはこのガリと結婚して、マホメット教の信仰に入った。ガリはメジナ(Medina)へ参詣(さんけい)に行ったが、出掛ける時に「ダリガよ。お前はもう九か月か十カ月で一人の子供を産むから、その子にはカデルダ(Cadelda)という名前をつけよ。」と言った。ところがカデルダは生まれてから一年と経たぬうちに、走り歩くことができ、また一殴りで他の子供を殺してしまう程の力持ちであった。一年後には家庭教師よりも多くのことを知るようになった。その後三年も経たぬうちにカデルダは母親から、父親の所在を聞いて探しに出掛けたが、途中で彼を知っているタタール人の隊商に会って、その仲間に加わった。夢のお告げによって、彼はメッカ(Mecca)で父親に会えるということを知って、メッカに向かって進んだ。メッカでは丁度競技が始まっていたので、彼はそれに加わり、ガリの先妻の子を九人まで倒し、遂にはガリ自身をも打ち負かしたが、その相手が自分の父親であることを知らなかった。その時ガリが、「お前は誰だ」と尋ねると、「私の父親はガリだ」と言ったので、ガリは喜んでカデルダを抱きしめたが、カデルダは自分の父を倒したことが恐ろしくなって、そのまま山へ逃げ込んで、地上に穴を掘って、「私は父親を倒したのが恥ずかしい。私はこの穴の中へ入った方がいい」と言って、穴の中に入った。すると大きな岩がその穴をふさいでしまった。
解釈
この話からはドイツのブリュンヒルドを思わせる。この手の強い女の話は、女が男に対して敵対心を抱いているというリリス的なものであり、もっとひどい物に至っては、女が男を食うだとか、息子を食うだとかの南半球における話である。ただ、この話にはガブリエルが介入しており、おそらくは女が愛によって打ち破られるという典型的な物語と思う。その結果が息子の父に対する無意識の叛逆のようで、実際に女が男に向かうということは全く矛盾した考えで、男が女に向き合うというのが事実正しいのではないだろうか。男に向き合う助け手としての役割の象徴であり、この逆が息子を父へ向かわせているようにも思う。この話は女が男に向かい、男が女に勝つという結果があるが、この事実が決定的であるゆえに息子のエディプス的な性質の恋人的性格が母が父によって倒されたという点で非常に多くの抑圧を受けているように思う。ただしこの場合には父は子が生まれる前に家にいないという点も考慮されるが。しかし、なぜ女が力を求めたのかと言う点はもう少し詳しく吟味しなくてはいけない。
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石に変わった二人
昔、ある村に、金持ちで有名な一家族が住んでいて、一人の美しい娘を持っていた。ある時ふとその乙女は、一人の美しい若者と知り合いになった。彼女はじきに、その若者と恋に落ちた。そして二人は一緒になろうとしたが、乙女の両親は、若者の家が貧乏であることを知っていて、どうしても承知しません。そこで二人は駆け落ちすることになった。ある暗い晩、前もって買収して置いた召使いたちの手引きで、若者の乙女を連れ出して、馬に乗って山の方へと逃げ出した。しかし乙女の両親は娘を盗まれたことを知って、すぐさまその後を追い掛けた。二人はやがて、彼らの駆け落ちの計画が失敗に終わったことを知った。後ろの方から馬の足音や、追っての叫び声が近づいてくるのが聞こえた。
ここで二人は、全能の神様に向かって、敵の手から救われるように祈った。そして二人を撃ち殺して、石に変えて下さるようにと願った。神様は早速二人の願いを聞き届けて、二人を回教徒の墓石の形を下石に変えてしまった。この石は今でも多くの信者たちの、信仰を集めているということです。
解釈
例えばスラブ民族の間では、勇者ポトークと妻の話がある。ハワイではプウペヘとマカケハウの話がある。
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魔法の鏡
昔、ジベーンという名前の一人の若者が住んでいた。ある日母親の言いつけで、ジベーンは驢馬を連れて、薪を捕りに森の中へと出かけた。森の中では一匹の蛇が、一頭の牡牛を丸呑みにしようとしていたが、牡牛には大きな角があるので、どうしても飲むことができなかった。「蛇を殺してください。そうすれば私は救われます。そして私はあなたを角の上に乗せて、家へ連れて行ってあげますから」と牡牛はジベーンに行った。「牡牛の角を折ってください。そうすれば私は牡牛を食べることができます。そしてあなたには、何でもお望みの物を差し上げますから」と蛇が言った。ジベーンは蛇の言うことを聞いて、斧を取って牡牛の角を切ってしまったので、蛇はやっと牡牛を飲み下すことができた。そして蛇が、「私の身内のいるところへ行きましょう」というので、ジベーンは蛇の棲家へとついて行った。「鏡をくれといいなさい。すると彼らはあなたに銭を差し出すでしょが、それを取ってはいけません。また沢山の馬を出すでしょうが、それも取らないように、そしてひたすらに鏡を所望するのですよ。」とその蛇はジベーンに教えた。蛇の家に着いた時に、ジベーンは鏡をくれと言った。そうすると彼らは、銭や馬を出して来たが、ジベーンはどうしても受け取ろうとしません。そこで致し方なく、蛇たちはジベーンに鏡を与えた。「この鏡を貴方の舌の下へ隠しておいて、誰にもやってはいけません。森の中へ行って、鏡に向かって『皇帝(ツアー)の持っていられるよりも、もっと多くの薪を持って来い』と命じておいて、それからそこに転がって眠るのです」とさきの蛇はジベーンに教えた。ジベーンは森の中へ行って、教えられた通り、その鏡に命じておいて、自分はそこで眠った。眼を覚まして見ると、彼はいつの間にか自分の家の庭にきていた。そして辺りは全くの薪の山であった。朝になると、ジベーンの母親が起きて来て、どこからこんなに沢山の薪を取って来たのかと尋ねた。「森の中です」と答えると母親は、「私は皇帝の所へ行って、お前が沢山の薪を取って来たことを話してくる。そうすれば皇帝はお前を牢の中へ入れるに相違ない」と言って、彼女は皇帝の所へ行って、そのことを話した。それで皇帝の所からは、早速一人の家来がやって来て、「ジベーンよ。皇帝のお召しだ」と言った。ジベーンは「明日参ります」と答えておいて、その夜例の鏡を取り出して、「皇帝の女王と宮殿とを取って来い。そして私と私の犬と猫とを一緒に、荒野原の真ん中へ持って行け」と言い付けた。そして一日一晩眠った後で眼を覚まして見ると、果たして皇帝の王女が側にきていた。彼が起き上がってみると、自分は立派な宮殿の中におりましたが、しかし宮殿の外は全くの荒野原です。彼は王女に、「私は狩に出かける」といっておいて猫と犬とを連れ、銃を持って猟に出かけた。彼は夕方、一羽の青鷺を捕えて来て、、それを料理して食べた。翌朝になるとジベーンは再び猟に出掛け、それから七カ月の合あ、同じようなことをしていた。森の中にはほかに人は一人も住んでおらず、ただ獅子や狼や熊のような野獣がいるばかりであった。一方王女を失くした皇帝は、王女を探し出した者には、帝国の半分を与えるという発布を出した。すると一人の婆さんがやって来て、「私が王女を探しましょう」と言った。「もし成功した時には、お前に我が帝国の半分を与える」と皇帝がいうので、いよいよ婆さんは王女を探しにでることになり、七カ月の後、例の森の中へと入って行った。丁度猟に出ていたジベーンは婆さんを見て、「私はずっと長くここに住んでいるが、誰も他に人を見たことがなかった。どこから来たのだ。早速私の召使いになってはくれまいか。私の妻は宮殿の中に一人淋しく住んでいるから」というと、婆さんはこれを喜んで引き受けた。そこで婆さんを宮殿へ連れて来ると、彼の妻の王女も非常に喜んだ。朝ジベーンが起きて、いつものように猟に出掛けると、その後で婆さんは、「あなたの御主人の秘密を尋ねてご覧なさい」と王女に言った。夕方ジベーンが帰ってくると、王女は、「あなたの秘密を話してください」と言ったが、彼は「私の秘密を聞いてどうするのだ」と言って、そのまま寝てしまった。翌朝またいつものように猟に出掛けて、そして夕方帰って見ると、王女は病気になっていた。「どうしたんだ」と尋ねると、「あなたが秘密を話して下さるならば、私の病気は治ります。」と王女は言った。彼は、「この銃を見よ」と言ったきりで、翌朝また猟に出掛けた。婆さんが、「あなたの御主人は何といわれましたか」と聞くと、「この銃を見よと言った」と王女は答えた。婆さんは、「いや、秘密は銃のようなものではありません。あなたはもっともっと病気が悪いようなふりをしなければいけません」と教えた。そこでジベーンの妻の王女は、非常に悪いような様子をして、夫が夕方家へ帰って来た時には、死人のようになっていた。「どうしたんだ」と尋ねると、王女は、「あなたの秘密を話して下さい。そうすれば、私はすぐに良くなります」と言うので、ジベーンは「それは壁にかけているあの鏡だ」と言って、とうとう秘密を明かしてしまった。あくる朝いつものようにジベーンは、犬と猫とを連れて猟に出掛けたが、例の秘密の鏡を壁にかけたまま忘れて行った。婆さんは王女から、秘密は鏡にあることを聞いて、「そうだろう」と言いながら、鏡を取り外して、「宮殿と王女と私とを皇帝の所へ連れていけ」と鏡に言いつけた。夕方ジベーンが帰って見ると、あたりにはただ宮殿の跡が残っているばかりであった。彼は泣きながら犬と猫とを連れて、この土地を去り、それから長い旅を続けた後で、遂に皇帝の宮殿へやって来た。そこにはさきの婆さんが、帝国の半分を貰い受けていた。婆さんはジベーンを見つけて、「その男を殺して下さい」と皇帝に言ったが、工程はジベーンの美しい容貌を見て、殺してしまうことを好まず、穴の中へ投げ込むようにと命じた。穴の中でジベーンの犬や猫たちは沢山の鼠を殺したが、ある時一匹の鼠がジベーンの前に来て、「私たちを助けて下さるならば、あなたの望みのものを何でも差し上げましょう」という申し出をした。そこでジベーンは、婆さんはどこに鏡を隠しているのか、と尋ねた。早速鼠たちは会議を開いて、取り調べを始めたが、誰も知る者がなかった。ところが最後に一匹のびっこの鼠が出て来て、婆さんが舌の下に鏡を入れていることを教えた。「ではその鏡を盗むことができるか」とジベーンがいうと、「私が盗んできます」と言って、さきの鼠が婆さんの家へ走って行った。婆さんの住居では、人たちが皆ね静まった後で、婆さんの眠っている周りには、十二本の蝋燭が灯してあった。鼠は十一本の蝋燭を消して、最後の一本を床の上へ落としたが、婆さんは何も気が付かなかった。鼠が婆さんの身体の上へあがって見ると、婆さんは口を開いて眠っているので、そのまま口の中へ入って、辺りを探してみたが、鏡はどこにもなかった。次に鼻の中へ入って行くと、婆さんは突然大きなくしゃみをして、その鏡を口から吐き出した。鼠は早速その鏡を拾って、ジベーンの所へ帰って来た。ジベーンは鏡に向かって、「私と王女と婆さんを、前の荒野原の宮殿へ連れていけ」と言って、鏡を舌の下に隠して眠った。そして眼を覚まして見ると、王女と婆さんがその側に来ていた。彼は婆さんを捕えて、木に縛りつけておいて、火で焼き殺してしまった。
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人柱の話
一段の大工らが、汗みどろになって橋を架けているところ、いくらやっても、丈夫な土台ができないので、頭梁は立ち上がって、「おい皆の奴ら、明日最初に弁当を持って来た女は、気の毒だが犠牲になって貰うんだ」と申した。さあ大変と大工らは、自分の妻に、「明日まごついて、弁当を持ってくるんじゃねえぞ。一番初めに来た者は犠牲にされるんだ。いいかい」と申した。翌朝、皆はまた仕事を始めた。やがて、昼飯時になったが、誰も弁当を持って来なかった。頭梁のパウルは、ふと眺めると、一人の女がこちらの方にやって来た。だんだんと近くなってよく見ると、それは、紛れもない時分の妻マリヤであった。彼はびっくりして立ち止まり、静かに、「神様よ、どうぞ二つの頭の蛇を遣わしたまえ」と祈ると、間もなく二つ頭の蛇が現れて、マリヤに向かって「あなたが、これから先方にお出でになると災いがありますよ」と申したので彼女は、「ええ、有難う。じゃあ、すぐに帰ります」と言った。丁度その時、彼女は産月であったので、俄かに子供を産んだ。それにも拘わらず彼女は夫の身を案じて、弁当を持って工事場にやって来た。そこでパウルは仕方なく、「私の銀の笛を出して遅れ。さあ、私が笛を吹くからお前は踊りな」と言って、笛を吹くと、妻はそれに合わせて踊り始めた。その時彼は、妻を腕で抱えたかと思うと、そのまま犠牲の穴の中に投げ込んだ。すると彼女は「あなた、なぜ私を、こんなところに投げ込んだの」と大声で泣き叫んだ。パウルは「まあ、騒がしい。静かにして、私の婚約の指輪でも探して見ろ」と言って、いよいよ工事を始めだした。穴の中では妻のマリヤは、「あなた、パウル、なんてことをするんです。可哀想に、ジュバンは誰が世話をするんですの。あの子にお乳を誰がやるの」と狂い泣いた。かくして、橋の工事は進んで間もなく立派に出来上がった。子供のジュバンが成長して、十四歳になった時、ある日、橋のたもとに行くと、どこかで、「ジュバンよ、ここへお出で」と呼ぶように思われたので、だんだんその声の方に近づいて行くと、それは彼の母の声で、「ジュバンよ、大急ぎで坊さんを呼んできて、お祈りをしておくれ。そして、私の乳がこぼれて仕方がないから、盥を持って来ておくれ」と申した。ジュバンは、早速寺へ行って、僧侶に話すと、坊さんは、本当かどうか疑いながら、やって来た。すると、果たしてどこからとも知れず、「どうか、お祈りをしてください」と聞こえて来た。そこで、大勢の僧侶を集めて聖餐式を行い、盥を持ってくると、その中に乳が数滴垂れ込んだ。かくしてその橋をパウル橋といい、その川をマリヤ川と名付けた。
解釈
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世界と人間の始め
悪魔が気味の悪い音を立てて、暗闇の中を飛び回っていると、大きな力の強い者が、「静まれ」と叫んだ。悪魔は黙ってしまったので、あたりはすっかり静まり返った。するとまた、力の強いアラー(Allah)が、「まず地が出でよ。次には、天と光とが出よ」と叫んだ。そして、この全能のアラーの神様が息を噴き出すと、その息は石になった。石が出来たと思うと、その石はすぐ山になった。山はまた素晴らしい高さになると、崩れて一つの平原を作った。アラーの神様は、自分の作った土地を見て打ち喜び、「これはよい。これはよい。ここに人間をば住まわせよう」と言った。ところが、それにはまず天を作らなければならない、と思った。そして、アラーの神様が眼を輝かせますと、その輝く眼から出た光が炎になって燃え上がって、暗闇を明るくした。アラーの神様は、炎に向かって「石を熔かせ」と言った。そして石が燃えると、緑の煙が立ち上って、青空に七つの列を作った。アラーの神様は満足して、「これでよい。しかし天は地よりも美しくない。人間たちは地上に住まわせた方がよかろう。また預言者にも、命を吹き込んでやろう。」と言って、小さい球を造って、それを上へ吹き上げた。球は回って、一人の人間の形になった。一時経つと、この球は動かなくなった。そこで全能のアラーの神様は、この人間の像に神聖な火を吹き込んで、「私の預言者よ」と言った。預言者はアラーの言葉を聞いて、「聞いております。聞いております。」と言って、面を伏せた。それからアラーの神様は、一塊の土を取って、それを吹きながら、「土地よ、私はお前の主人である」と言った。するとアラーの右手から、一つの球が落ち、球は一回りして人間の形になった。しかしアラーの神様は、先に預言者を造った時のようには、人間に神聖な火を吹き込まなかった。その代わり人間に触って、「生きよ」と言った。そしてここに一人の人間が出来た。それからアラーの神様は、左手の方から、同じように一人の女を作り出した。そして、この男の方をヤディウム(Yadym)、女の方をアバ(Ava)と呼んだ。アラーの神様はヤディウムに、「私はお前に、この土地を全部与える。しかし、お前が一人これを占領してはならぬ。他の多くの人々にも、使わせなければならない」と言った。そしてまたアバには、「お前は人間をできるだけ多く産まなければならぬ」と言い付けた。「神様、私たちは、何を食べて生きて行くのですか」と二人が言うと、アラーは笑って、石を手に執ってそれを揉んだ。石からは、多くの水が流れ出て、河や湖を作った。次にアラーの神様は、その水の中へ一塊の土を投げ込んで、魚を作った。神様は、「お前たちが腹が空いたら、この魚を食べよ」と言った。アラーの神様はまた天から、緑色の煙を取って土地を彩った。すると地には、草や木が生え出でて、花や実をつけた。神様は、「みんな、好きなだけ、食べるがよい」と言った。アラーの神様はさらに、「ああ。まだ作り足りないものがある。私はお前たちに、慰め相手を与えよう」と言って、粘土を取って獣と鳥を作った。ところが、熊が恐ろしい声を立てて人間をおどした。アラーの神様が、「心配ないから、熊に近づけ」と言った。ヤディウムが恐る恐る近づくと、熊は小羊のようにおとなしくしていた。その時アラーの神様は、「この後は、男のヤディウムは強い勇ましい支配者となれ。女のアバは、よく家の事を司れ。また私の贈り物をよく養え。私は天に昇ってそこからお前たちの有様を見ている。天には沢山の窓がある。その窓を星と言っている。」と言って、天に昇った。ヤディウムとアバとは、地上に残ってこの後人間はますます栄えた。
解釈
この話はアダムとイブといえるかはわからないが、ある側面的な見方と言える。それはアラーがまず地を作ったという見方である。これは地の立場から見た創造を物語っているように思う。預言者には「神聖な火」を吹き込み、ヤディウムとアバには吹き込んでいない点は火を神聖視することを示しており、聖書には火についての創造は書かれていない。更に、人間が出来たことに、星が起因して表されている。星が天の窓と言われている点も大きい。また、この創造の話によると、人間が食べ物を求め、アラーは笑って、石を揉んで石から水をたくさん出している。これによってできた河と湖はある点で多くの土地とつながっているように思う。ペルーにも魚を囲った湖がありそこから魚が出たという話があり、メラネシアには魚が出て来る穴がある。これらの水は多くの土地でつながっており、イサクはこのような水のつながりから井戸を掘ったように思う。また、この石はすなわち厄介となずけられる水のことかもしれない。そしてこの話ではまず初めに人間に土地を多くの人々と共有するように言っている。第四の日はその前触れとして、悪魔に静まれといい、静まったところに息を噴き出し、「息が石に」なりアラーの目から出た光(テージャスと同じ原理か?)が炎となり「石を火で溶かし」また、その炎から「緑の煙」が立ち「七つの列」(これは虹のことだろうか)を作った、という一連の聖書の創造の背理を行く話から現れている可能性が高い。すなわち、創世記の創造の裏を示すもので、まず天と地を創造された日に水があり、悪魔となっていた。そして唯一なる方は静まれと言い、第一の日、光が地を照らし、現れた地に水が流れ「吐く息」となった。そして石なるものが現れ山となり平原となったのは夕べである。第二の日にすなわち夜明けに炎が出来て、昼が来た。これはおそらく海によって、隠された。そして大空が出来て、上の水と下の水に別れた。火は石を熔かし、緑色の煙と虹を据えた。そして、第三の日には水が一か所に集められ、山が現れた。種がまかれて種が種の中に、として低木、草が地に与えられた。そして第四の日に星ができたが、ここで一つの星が他と異なったことが示されている。その後の話が少し見えないが、その後人間を作っているのである。河を作ったことがいつなのか、それが第七の日であるかもしれないが、その後聖書にも四つの河が示されている。その他の神話を参照することでこの全貌が明らかになるかもしれないが、むしろこの話の種本が気になるところだ。この種本を見つけてから先を調べたい。
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靴屋
昔、イリア(Ilya)という靴屋がいた。彼は預言者で至って心の清い人であった。彼は粗末な小屋に住んでいて、客の顔を見ること、殊に女の顔を見ることをひどく嫌っていた。それでそういう誘惑を避けるために、家の中から客の注文を聞くのが常であった。例えば客が注文に来ると、「旦那さん、すみませんが、お足を庭先にある灰の中に入れてください。そしたら寸法を計って、明日までに仕上げておきます」といったようなふうに、やっていった。ところが悪魔がイリヤを誘惑しようと思って、女の姿になって、彼の家を訪ねた。それで彼は、いつものように、足を灰の中に入れてくれと言うと、悪魔はイリヤに向かって、ぜひ出て来て自分で寸法を採ってくれと言って、聞かなかった。しかしイリアもなかなか承知できず、二人の口争いは数日続いた。遂に悪魔は、悪いことをしないからというので、いよいよイリアは、自分で寸法を採ることになった。イリアは女に化けた悪魔を、椅子に腰かけさせたが、彼女の身体のことは考えないように努めていた。ところが悪魔はイリアが前に立っているにも拘らず、足を重ね合わして、着物の裾を膝の上までまくり上げた。そこでイリアは非常に苦しんで、靴針をとるが早いか己の眼の一つに突き刺しました。それから山へ昇って、その頂から溢れ出る泉で、眼を洗った。それから後、あの忌まわしい光景を思い出しては苦しんだが、もう二度とああいう者を見ないように固く心に誓った。そのけなげな心は神様の知るところとなって、神様はイリアに、五人の天使を遣わしになった。その天使らは、イリアに向かい、「神様はお前の清い正しい心に感じて、お前を天国に入れることをお許しになったのだ」と申した。それでイリアは、神様にお礼を申し上げて、天使に連れられて天に昇ろうとすると、弟子の一人が涙を流して、「親方、あなたは天国へ行くのですか、わたしらはこれからどうして暮らしていくのですか」と言うと、イリアは顔の布を取って、「さあ、お前もこれで生活しておくれ」と言って、雲の中に隠れてしまった。それから後、靴屋は自分らの仕事は預言者のイリアから、始まったのだと申している。
解釈
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王様と銀細工屋
王様の御用をしている信心深い銀細工屋があった。彼は、いつも口癖のように、「正直者の頭に神宿る」ということを言っていた。しかし王様は、そういう言葉をひどく嫌っていましたので、なんとかして、その癖を直してやろうと考えた。そこで立派なダイヤモンドを与えて、「その上に金を鏤めよ」と言い付けた。そして近臣に、それが出来上がったら、ひそかに盗むように命じて置いた。そして、細工屋が困ったら、そのとき、ダイアモンドを返すか、さきの言葉を言わないようにするか、と決めつけてやるつもりであった。さて、いよいよダイアモンドが紛失したので、銀細工屋はそのことを王様に恐る恐る話すと、王様は、「余の大切なダイアモンドを失くすとは、不埒だ」と叱ると、彼はいつものように、「まことにすみません。しかし、正直の頭に神宿ります」と答えたので、王様は早速、「ダイアモンドを探せ、もし見つからないならば、さきの言葉をもう言うてはならぬぞ。今から五日のうちに決めろ」と脅した。それで彼は困って、とぼとぼと家の方に帰る途中で、漁夫に会った。彼は漁夫から鮭を一尾買い求めた。それから家へ帰って、腹を裂くと、中から先のダイアモンドが現れた。そこで彼は大喜びで、「正直の頭に神宿ります」と大声で叫んだ。彼は早速、それを王様の宮殿へ持っていき、正直の頭に神宿りますと申し上げました。王様も事の次第を聞き、正直の頭に神宿りますという言葉を許すことになった。
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石の車
蛮人が、可哀想にある国を攻めて、そこの人々を殺し、若者を擒(とりこ)にした。それで、血を分けた兄弟姉妹も、敵の手に捕えられて、哀れお互いの運命も知らず、悲しい生活を送っていた。ある若者が井戸の傍に立って、履いていたスリッパを持って、ジョルジア語(Georgia)で、呪いの言葉を吐いていた。たまたまバルジア(Bardzya)の僧院のことになると、聞いていた一人の乙女が、突然声をかけて、「あなたはバルジアに住んでいたことがありますか。どうして、ここにお出で遊ばしたのですか。」と尋ねると、若者は、「はい、私はバルジアにおりました。私の家は、僧院より遠くありません。ある時、私の村へ蛮人が攻め寄せて来て、老人を殺し、私と姉さんを擒にしてしまいました」と答えたので、彼女は、昔を思い出して、若者の年恰好から、自分の弟であると思った。そこで二人は語り合いたかったのであるが、乙女は若者に、夜になったらいま着ている物を着て、私の所にお出でなさいと言った。その夜、二人は誰にも見つからないように馬車の中に入って、しみじみと語り合うことになった。いろいろと話し合ってみると、二人は全く昔別れた姉弟であることが分かった。それで二人は、その後、夜になると、誰にも知られないように話し合うのを楽しみにしていた。そのうちある日、その馬車が独りでに動き出して、遂にバルジアからほど遠からぬ大きな岩の上に止まった。二人は、一緒に懐かしい故郷に帰っているのを知って、神に感謝した。そして馬車に向かって、ちょっと言葉を掛けますと、その車はたちまち石と化した。この日はちょうど、バルジアの祭日で、その奇蹟は多くの人が見たものである。その石車はいまでも大きな岩の突先にある。
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ケレメットの起源
天国で天使が、神様と争っていたが、とうとう下界へ追い下された。その天使のうちで、森の中へ落ちた者は森の精となり、水の中へ落ちたものは、水の精となった。そのうち、ケレメット(Keremet)という性質(たち)の悪い天使が、チェレミス(Tcheremiss)という小屋に落ちた。そして遠くから来た旅人だといって、暫くその家に泊めてくれと、頼んだ。ところが、小屋は小さくて狭かったので、その家の主人は、「お泊め申す部屋がないから、炉の中に寝てもらいたい」と言った。このチェレミスの家では、炉には大方火が無くて、殊に夏は空であった。主人が、「炉の中へ入りなさい。心配はいりませんよ」と言うので、ケレメットは、「どんな人が来ても、私のことはしゃべらないように」と頼んで、炉の中へ入った。果たして間もなく神様の命令で、ケレメットを追い掛けて来た天使がやって来て、「新規に、お宅へ来た人はありませんか」と尋ねた。家の者たちは、「いや。誰も見えません」と答えたが、天使は、「本当にそうですか」となおも聞くので、「確かにそうです」というと、「まああなた方は、あいつと一緒にお暮しなさい。後で、ぶつぶつ言っても知りませんよ」といって、天使は姿を消してしまった。
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シールトの起源
ある時シールトが、ある新来者の家へ入り込んだ。そして夜になると、音を立てたり、病気を振りまいたりして、村の人々を困らせた。人々は、この災いから逃れるために、その家の周囲に柱を立てた。するとシールトは、もう人々を前程困らせないようになった。恐らく悪戯をやめたのでしょう。しかし何か災いがくるとシールトの力を信じている村の人々は、易者に勧められて、夜、こっそりと人に見られないように、そこへ蝋燭を献ずるようになった。こういう訳で、柱に時々火が付くことがあったが、そうするとまた他の人が、新しく柱を立てた。シールトの悪魔が住んでいる家の人々は、またシールトが再び帰って来るのを心配して、その柱を壊そうとはしなかった。村の人々は、シールトに蝋燭を献ずるだけではなく、やがて森の中で、シールトに犠牲を捧げるようになった。こういうことをするのは、男よりは女が多く、女の生活はほとんどこの迷信に取りまかれていた。中には夫に知られないように、ケレメットに犠牲を捧げたり、シールトに蝋燭を献じたりする女もあった。
解釈
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貧乏神
ある貧乏な百姓が、一人の美しい娘を持っていた。金持ちの地主がその娘に恋をして、どうしても結婚しようとしたが、娘は彼が嫌いであり、両親もまた反対したので、地主は怒って、いろいろな方法でその家族を苦しめた。百姓の一家は、とうとう我慢ができなくなって、村を立ち退こうとした。そして、永年住み慣れた小屋に別れを告げようとすると、囲炉裏の後ろで泣き声が聞こえた。暫くするとその囲炉裏の後ろから、すんなりとした乙女が出て来た。父の百姓は、「この悪魔め、何しに来た」というと、乙女は「私は貧乏神です。私も連れて行って下さい」と言った。するとこの百姓も馬鹿ではなかったので、しばらく考えた後、その貧乏神の乙女の前に頭を下げて、「女神様、お望みとあればお連れ申します。しかし御覧の通り今引っ越しの最中です。恐れ入りますがちょっとお手伝い下さい」と言った。そして貧乏神を連れて庭先へ出て、そこに伐り倒してある木を指して、「これをちょっと上げてください。」と言ったが、木は非常に重くて、貧乏神はとても上げることができなかった。そこで百姓は、彼女に木の割れ目を示して、そこへ彼女の優しい手を入れさせて置いて、いきなり持っていた斧を揮ったので、彼女の手は、木の割れ目へはまり込んでしまった。貧乏の女神は助けを求めたが、どうすることもできなかった。その間に百姓の一家は家財をまとめて、「もう二度と、こんな小屋へは来ないよ」と言って出発した。貧乏神と手を切ってから、百姓の一家は幸福になって、今度落ち着いた村で、一番の金持ちになり、娘は若い美しい男と結婚した。話が変わって、前の村の地主は、それからすっかり落ちぶれてしまった。その理由はこうです。ある時彼は新しく村へやって来た人のために、空き家を探そうと思って前の百姓の住んでいた家へ行ってみると、一人の乙女がいて、木の割れ目から手を抜こうとしてもがいていた。憐れに思って木の割れ目を大きく開けてやると、貧乏の女神はやっと手を抜き出したが、すぐその男に取り付いて、その上その男と恋に落ちた。これがために彼は財産を全部失くして、貧乏になってしまった。
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不思議な笛
ある男が、地獄で閻魔様(えんまさま)によく仕えたので、閻魔様は、「お前の年季の明けた時には、私はお前に、好きな物を何でもやる」と言った。その男が大きな釜の中で、悪人の魂を煮ていると、悪人の魂が、「釜の中の泡を貰え」と教えた。約束の二年間を働いたその男は、「さあこれでお暇します。釜の中の泡を下さい」と言った。閻魔様はその注文が気に入らなかったが、前の約束を守らないわけにいかなかった。男は鞄一杯に泡を貰って帰ったが、ある牧場にやって来た時に、いったい泡から、どんなことが起こるだろうかと思って、鞄の中の泡を、牧場の草の上にまき散らした。するとそこへ、一匹の小さな羊が現れた。ところがそこへまた、キリストがやってきて、「小羊を売ってくれ」と言った。「よろしゅうございます」というと、キリストは小羊を受け取って、その代わりに一つの笛を男に与えた。その笛は非常に立派なもので、その音を聞くと、誰でも踊り出さずにはいられなかった。男が笛を吹いていると、一人のユダヤ人が通りかかって、つい踊り出して、持っていた瀬戸物を壊してしまった。ユダヤ人は、大切な貢物を壊したというので、その男を打ち首にすると言った。それからいよいよ、役人たちが刑場へやって来た時、男は、もう一度笛を吹かせてくれと頼んだ。そして役人の許しを得て、男が笛を吹くと、近所にいた役人も見物人も手に手を取って踊り出し、しまいにはすっかり、ぐたぐたになってしまった。それから男は、遂に罪を赦されて帰って行った。
解釈
羊が地獄の泡から生まれたというのはあり得る話である。また、ここでキリストが小羊を買いに来ている点を見ると、キリストの代わりに釈放された者のたとえのようにも思う。地獄で働いた者の最期にキリストと一緒に処刑場に居た際には実際にはこのようなことがあったのではなかろうか。もちろんこれは精神の話であるが。
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